「エデンより彼方へ」(FAR FROM HEAVEN)

-エデンより彼方への道は、限りなく険しく遠い-
2002年 米 トッド・ヘインズ監督



前から折に触れ書いていることだけれど、ワタシは赤毛のデコッパチことジュリアン・ムーアが苦手である。苦手というか嫌いに近い。けれど、演技力のある女優であることは承知している。そして、本作のヒロインを好演する彼女を観て、初めて彼女の演じる人物にシンパシーを感じた。本作も、デコッパチが嫌いなので、もちろん劇場公開時はスルーだったが、昨年ぐらいにイマジカで放映されたのを初めて観て、いい映画だなと思った。
1950年代は、アメリカが最高、最強の国力を誇り、繁栄を謳歌した時代だったが、同時に強固な差別と偏見が根を張っていた時代でもあった。そんな時代に、理想的な主婦として、ごく表層的に人生の上積みを生きてきた女性が、ふとした事から否応なしに思い知らされた運命の陥穽と試練。苦悩にまみれつつ、自らも自分に正直に生きたいと願いながら果たせない姿が、コネチカットの美しい錦秋を背景に情感たっぷりに切なく描かれる。エルマー・バーンスタインのメロドラマティックなスコアが、映画全体と、そのテーマを十二分に盛り上げている。

キャサリン・ウィテカー(ジュリアン・ムーア)は、人も羨む理想的な結婚生活を営む美貌の主婦。ハンサムな夫は大企業の重役で、二人の子供に恵まれ、コネチカット州ハートフォードの社交界でも花形の彼女は、雑誌の取材を受けるなど、郊外の白人社会でプチ・セレブな存在感を発揮していた。人生に満足し、何一つ疑う事を知らなかった彼女だが、ある夜、あまりに残業が続く夫に夜食を届けに行った際、誰もいないオフィスで男と抱き合う夫の姿を見てしまう。「異常」な自分に煩悶する夫に医者通いを勧めるキャシーだが、夫婦仲はギクシャクするばかりだった。順調だった人生に突如さしかかる不幸の影。苦悩するキャシーを見つめ、優しい言葉をかける黒人の庭師レイモンド。キャシーは穏やかで知的で感性豊かなレイモンドとの会話に、次第に慰めを見出すようになるのだが…。

というわけで、本作で扱われるのは、2つの禁忌である。1つは同性愛、もう1つは被差別人種との恋愛である。どちらも、50年代アメリカの保守的な白人社会では大変なタブーだったことだろう。
中年にさしかかってホモに目覚めてしまう夫を演じるのは、長らくメグ・ライアンの夫だったデニス・クエイド。本作の彼は、おそらくモンゴメリー・クリフトのようなイメージを監督が夫役に求めた結果のキャスティングだろうと推察するけれども、そのルックスや佇まいは、その役柄ともども中年になったあたりのモンゴメリー・クリフトを想起させる。妻との営みに気が乗らず、自分は男にしか恋愛感情や欲望を感じないのだと、結婚し、子供も出来たいい年の大人になってから本格的に自覚する男を好演している。



同性愛は「病気」だと思われていた時代。一流企業の重役という地位と、美しい妻に二人の子供という、人も羨む今の生活をそんな事で破綻させるわけにはいかないと夫は苦悶する。自らの暗い秘密におののき、呻きながら、妻の奨めるままに精神科医の治療を受けるが、一向に状況は好転しない。無理に世間が押し付ける通りの価値観に自分を馴染ませようと思えば思うほど苦しみは募り、酒の量も増え、済まないと思っている女房に手をあげるようになってしまう。「私にとって男性はあなただけなの」と一途な愛を自分にのみ向ける妻の優等生なありようも苦々しい。その愛に応えられない自分がいよよ苦しいのである。



デニス・クエイド演じる夫のフランクは身勝手極まりない男である。ホモに目覚めて精神的に不安定になり、家庭生活を危機に陥れているだけでも困ったものなのだが、あまつさえ、子供もいる家の中で、「他に好きな相手が出来てしまった、生まれて初めて愛する事を知った」などとめそめそ泣いて訴えだす始末。自らも持って生まれた性(さが)に苦しんではいるのだが、結果的に彼が無自覚に結婚したせいで、1人の女が、そして二人の子供が、確実に不幸になってしまったわけだから、その業は深い。しかし、女房や子供を犠牲にしても、夫のフランクは自らの欲望に、本来の自分に忠実に生きる事を選ぶのである。

一方、二人の子供までなしたのに、途中でホモに目覚めた夫に男に走られた妻は詐欺にあったようなものである。懸命に自分を抑え、夫を医者に通わせて、何とか平穏な結婚生活を取り戻そうとするキャシーだが、夫はいよよ苦悩を深め、酒量も増すばかり。完璧な準備で毎年恒例のホームパーティを仕切り、賞賛されるキャシーだが、夫は深酒をして、そんな妻に客の前で毒舌を浴びせる。
夫との齟齬が深まる一方で、常に優しいまなざしでそっと気遣ってくれる庭師のレイモンドとの交流が、寄る辺ないキャシーの唯一の慰めになるのだが、街や展覧会などで一緒の姿を見られた二人は、瞬く間に人々の噂の的となり、何不自由ないはずのブルジョワ夫人が黒人の庭師と不倫に陥っていると取り沙汰される。



夫との仲を何とか修復しようとしたキャシーを夫が振りほどいた拍子に額に手が当り、キャシーは痣を作る。化粧や髪型で誤魔化そうとするが、物見高い主婦仲間の目を誤魔化す事はできない。夫と上手くいっていない事を少し前から見抜いていた主婦友のエレノア(パトリシア・クラークソン)は、「私はあなたの一番の親友なんだから、なんでも打ち明けてちょうだい」などと言うのだが、「一番の親友」などとヌケヌケ言う主婦仲間ほど胡散臭いものはない。曖昧な微笑を浮かべて、腐肉を漁るハイエナのような主婦友の詮索をかわすキャシーだが、裏庭へ廻るとついに堪えきれずに嗚咽を漏らす。一人むせび泣く彼女に慰めの言葉をかけるのは、やはり庭師のレイモンドだった…。というわけで、この、1人裏庭で堪えきれずに涙する、というシーンのジュリアン・ムーアは良い。同情しないわけにはいかない。そりゃもう、泣きたくもなるよねぇ、今までよく我慢したわね。泣きなさい好きなだけ、と思ってしまう。



そして本作では、もの静かでインテリの黒人庭師レイモンドを演じたデニス・ヘイスバートがまた、とても良かった。190cmはありそうな長身で、顔立ちはナット・キング・コール風味。娘をかかえたヤモメのレイモンドを控え目な演技で静かに、けれど印象深く演じていた。



彼は大学を出てもいるし、基本的に自分に自信を持っている。黒人だからといって必要以上に卑下したりなどしない。自分なりの意見や物の見方をしっかりと持っており、いかなる時にも堂々としている。だから、白人だけが集って見に来ている美術展にも、おじけずに娘を連れて来るのである。レイモンドがミロの絵について、「宗教画とは全く違う手法で、神性について描いている。ミロの絵には神を感じる」と自分の見解をキャシーに述べるシーンに、知性と感性が豊かで、大企業の重役である夫などよりも、ずっと男らしく教養の深い人物であることが示されるのである。


ミロの絵について、自らの解釈をのべるレイモンド

夫のせいで顔に痣を拵えたキャシーを慰めようと、レイモンドが郊外ドライブに彼女を連れ出すシーンがハイライトだろうか。冒頭から、コネチカットの紅葉が画面を彩っている本作だが、二人でドライブに行く静かな森の紅葉は、殊更に網膜にしみる美しさを湛えている。さらにレイモンドは黒人しか来ない店にキャシーを連れて行き、二人は差し向いでランチをしたため、ムーディな曲で踊る。黒人だけが来る店にレイモンドがキャシーを連れていったのは、自分だけが周囲と違う、という状況が自分にはよく分らない、とキャシーが言った事を受けての行動である。人知れぬ苦悩を抱えて気持ちの晴れない日が続いていたキャシーは、久々に心あたたまるひと時を過ごしたが、街を外れた郊外に行っても人の目は避けられない。知人に知らぬうちに二人でドライブしていたのを見られ、白人女性と黒人男性の不倫な関係として野火のようにゴシップは街を駆け巡るのだった。
キャシーが無防備だったこともあるが、このゴシップが街中の耳目をそばだてたのには、キャシーが美人で貞淑で家事も完璧にこなすという「理想的な妻」だった事への反動があるだろう。喩えれば、清潔で良妻賢母イメージだったイングリッド・バーグマンがロッセリーニと不倫関係に陥った時のように、周囲は裏切られたという気分になり、拒否反応は余計に大きくなるのである。


レイモンドの優しい配慮で久々に気分転換ができたキャシーだったが…


黒人庭師と妻との噂を真に受けたホモ亭主が、自分は突如として同性愛の衝動にかられて夫婦生活を危機に陥れているくせに、「長年かけて築いた俺の地位はどうなる!絶対に許さないぞ!」と喚きたてるのは笑止というほかはない。ゆえない疑惑を晴らす為、庭師としてのレイモンドを解雇せざるをえないキャシー。失うのは常に彼女の方であり、夫は身勝手な怒りや悩みを妻にぶつけるだけである。ともあれ、妻のスキャンダルのせいで、ひと月、無理に休養を取らされることになった夫と今度こそ関係を修復しようと、キャシーは水入らずの旅行を計画する。年越しに、マイアミにバカンスに出る二人。どうにか歩み寄ろうとする夫婦だが、夫はそこで運命の相手に出会ってしまうという、この皮肉。



それにしても、毎度映画などで見るたびに凄いアンテナだと思うのだけど、同性愛の人が同類を嗅ぎ分けるその嗅覚の鋭さには脱帽するほかない。本当にあんなふうに一目見ただけで分かるのだろうか。お互いに常に同類を探しているので、目が合ったらビビビと来るわけだろうか。…謎である。
夫婦水いらずで過ごし、こじらせた関係を幾らかでも修復するために旅に出たのに、そこで夫は決定的な相手と出会い、恋に落ちてしまうとは、なんたる運命の皮肉…。キャシーとフランクの夫婦は何がどうあっても別れるさだめだったのか。


久々に水いらずでバカンスに出た二人だったが…

そうこうするうちに、レイモンドも仕事は立ち行かなくなる、娘は同胞である黒人から石を投げられて怪我をするなど、街にいられない状況に追い込まれていく。
全てを処分し、生まれた街を出てボルティモアに移住するというレイモンドを駅に見送りに行き、私も独身に戻るのだし、そう遠くない将来お訪ねするわ、というキャシーに、それは賢明な考えではありません、とレイモンドは首を振る。自分は違う世界と関わった代償を払った。これからは娘の将来を一番に考えなくてはならない、というレイモンドの心情は分り過ぎるほどに分る。キャシーは黙って身を引かざるを得ない。夫は我儘を通して本能に忠実に生き、妻子を捨てて恋人の若造と生きることに決めた。彼がゲイだということは、妻の忍耐により伏せられたままである。


街を去っていかざるをえないレイモンド

しかし妻の方は、唯一の心の慰めであり、本当は誰よりも相性のいい、互いに添うべき相手だったと思われるレイモンドとは、周囲の無理解や偏見に手放しで曝され、ふみにじられて、別れていかざるを得ない。しかも、夫の仕事も危うく、貯金もない状況で離婚しても、潤沢な慰謝料や養育費などは到底望めそうもない有様である。キャシーの前途は限りなく暗い。どれだけ努力しても未来に希望のかけらも見えなさそうな気配が濃厚である。彼女はこれから、何を頼りに生きていくのか。働いた事もなく、結婚して子供を生んで、ハウスキーピングだけにせっせといそしんできた彼女に何ができるのか…。


愛する男は去って行き、離婚も確定し、何の寄る辺もなく1人取り残されるキャシー

コネチカットの美しい紅葉を背景に、50年代アメリカの、繁栄と裏返しの偏見と差別に満ちた窮屈な社会が、2つの許されぬ愛を通じて描かれる。素晴らしい脚本は監督と兼任のトッド・ヘインズ。「ベルベット・ゴールドマイン」や「アイム・ノット・ゼア」も彼の作品。TVミニシリーズの「ミルドレッド・ピアース」も手がけた。作風は幅広く、才能に溢れた映画人だ。

本作は、50年代のアメリカというものを実に丁寧に映像化している。家や街、家具や車、人々の衣服や髪型、そして音楽などに、50年代が見事に再現されている。この時代、男はみな外出するときは帽子を被り、女性は手袋をして、髪を常に綺麗にセットしていた。ウエストの締った、腰の広がった服にハイヒール。赤い口紅。一筋の乱れもなくセットされた髪と、家の中にいても外出着のようなきちんとした服を着た50年代のハウスワイフというものを、ジュリアン・ムーアはよく表現していたと思う。この上品なブルジョワの奥さんの雰囲気は、ミッシェル・ファイファーでは出せないところかもしれない。


どのシーンも時代色がよく出ている

ジュリアン・ムーアはこの時、産後でもあったのだろうか。いつもに較べて胸がどかんと大きく、腰幅も広く見える。しかし、そういうグラマーな体つきと50年代の衣装というのは、よく似合うのである。いわゆるマリリン・モンローやエリザベス・テイラーの時代なのだ。彼女たちが映画で着ていた服を脳裏に思い浮かべれば、50年代の服というのがどういう雰囲気かというのはお分かりいただけるだろう。そういう50年代のテイストを余すところなく表現した衣装担当のサンディ・パウエルがいい仕事をしていた。また、マーク・フリードバーグのセット美術も50年代の雰囲気がよく出ていて素晴らしかった。





差別と偏見と禁忌に雁字搦めになっていた50年代のアメリカ。
“楽園(エデン)より彼方へ 永遠に輝く場所をみつめて”全てを越えて本質だけを見ることは可能だと信じている、とレイモンドはキャシーに言うのだが、結局は周囲の根強い偏見に道を閉ざされて去っていくしかなくなる。21世紀に入った現在、アメリカの大統領は黒人が務める世の中になり、同性婚もあちこちの州でOKになりつつあるが、全てを越えて本質だけを見る事のできる社会になったと言えるのか、どうなのか。
美しいアメリカ東部の秋の景色を背景に、センチメンタルな旋律に乗せて、主婦が主役の悲恋メロドラマの体裁をとりつつも、偏見や差別という社会の諸問題、そして思わぬ陥穽が待ち受けている一筋縄でいかぬ人生というものについて、また時代の価値観についてなど、色々と考えさせられる作品だった。ジュリアン・ムーアを好きではない事に変わりはないが、この映画の彼女が素晴らしかった事は疑いもない事実である。身勝手なホモ亭主役のデニス・クエイドも適任だったし、物静かなインテリ庭師レイモンドを演じたデニス・ヘイスバートも良かった。また、キャシーの家の家政婦役で「ヘルプ ~心がつなぐストーリー~」のヴィオラ・デイヴィスが脇を締め、奥様を心配そうに気遣う家政婦を控えめに演じていた。



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全てを処分してボルティモアに行く、これからは娘の為を考えるというレイモンドの言葉になすすべもなくキャシーが背を向けると、「誇り高い人生を生きてください」と言い、レイモンドがキャシーの肩に手を置く。その手の上にキャシーが自分の手を重ねる。重ねた手のキャシーの指に、背後からレイモンドが頭をかがめてそっとキスをする。慎み深い男の精一杯の愛情表現が、上品で切なく、えもいわれなかった。

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