目的地としてのホテルを巡る旅 シェムリアップおよびハノイ その3

-SPAで冷えきった件、醒めたカップル、危機的カップル そしてタ・プロム-



バイヨン遺跡を見てから街に戻り、オールドマーケットで少し買い物をして、フランス人が経営するという人気カフェ「ブルー・パンプキン」でちょっと一息。ここはアイスクリームが売りだそうなので、アイスとお茶ならぬオチャケ(酒)で暫しのブレイク。ワタシはロングアイランド・アイスティを賞味しました。それから、予約しておいたSPA「Bodia SPA」へ。

なかなかいい雰囲気の「Bodia SPA」。ここでワタクシらはアロマオイルを使った全身マッサージ(60分US$28)と45分のフェイシャルの施術を受けました。個室に友と二人で入り、交互にシャワーを浴びてから施術台の上にまずはうつ伏せで横たわります。すると、うつ伏せた時に見える床の上に蓮の生花を浮かべた鉢が置かれてあって、演出が細かいなと思いました。カンボジアにおける蓮の花のアレンジメントというのは、花びらの先を折りたたんで形作るものがメインのようでした。当初、あまりに色鮮やかで質感が生っぽくなかったので、造花かと思ったのですが、生花と聞いてほほぉ~、と驚きました。



オイルマッサージは非常に気持ち良かったですが、ソフトにしてもらったにも関わらず、翌日ちょっと揉み返しがきました。おまけに暑い国の人は冷房を利かせるのがサービスのうち、と思っているようなフシがあり、部屋の中がかなり寒かったんですね。寒いと言って一度冷房をゆるめてもらったのですが、ボディマッサージ60分のあと、引き続きフェイシャルに入り、フェイシャルは、45分のうち、何かクリームを塗ってマッサージしてくれたのは10分か15分程度で、残りのかなりの時間はスチームで誤魔化されたなぁ、という感じのコースだったので、肌寒いなぁと思いつつかなり長らく放置された感じでした。目の上には化粧水をしませたコットンが置かれていて目が見えないし、スチームが出始めるとセラピストが気配を断ってしまって、そこにいるのか、部屋を出ていってしまったのかサッパリ分らない。横に友も同じ感じで横たわっていると思うのですが、お互いに何か中途半端な状態で放置されているような感じなので、声をかけ合うのも微妙に憚られるような具合で、いるのか居ないのかさだかでないセラピストに「冷房をもっとゆるめてくれませんか?」と声をかけたものかどうしようかと思いつつ、いつまで続くんだこの放置は。長いなぁ、と手足がモゾモゾし始めて、もう限界か、と思ったあたりで背後に控えていたらしいセラピストが動き出して「お疲れ様でした」という感じで、目の上のコットンを取ってくれ、着替えの入った籠をベッドに置いてくれました。ボディマッサージの心地よさが、フェイシャルの長い放置で吹っ飛んでしまったような印象で、折角いい感じのSPAで途中まではかなりナイスだったのに、残念なフェイシャルコースだったねぇと友と二人で辛口評価。店で料金を払って出る前に、お茶を飲みつつアンケート用紙に記入してくれというので、感じたままにフェイシャルについては減点して点をつけました。でも、SPAの雰囲気や、入った時と出るまえに出してくれるお茶のサービスなどは良かったこのお店。お茶の味よりも、お盆の上のお茶のカップと蓮の生花の飾りが瞑想的で非常に好ましかったです。ボディだけにしておけばよかったな。フェイシャルの長い放置のお陰ですっかり体が冷えきってしまったのか、後から振り返ると、これが効いてしまったんだと思うけれど、翌日、シェムリアップ3日目(カンボジアの最終日)にして、ワタシは咽喉を痛めて発熱し、ついにあんなに恐れていた風邪に執りつかれてしまったんざます。Oh! my God !


シェムリアップ オールド・マーケットの夜

でも、その日はまだ全然元気だったので、SPAを出てから、またあちこちの店を冷やかして歩き、その後、なるべく小ズルそうではないトゥクトゥクの運転手を捕まえてビクトリア・アンコール(フランス系のホテル)まで戻り、そこのフランス料理店「ル・ビストロ・ドゥ・シェムリアップ」でその夜の夕食をしたためました。そういえば、宿泊したホテルのラッフルズと、このビクトリア・アンコールはすぐ近所なんですが、ラッフルズでは全くトカゲだのヤモリだのというものを見かけなかったのに、ビクトリア・アンコールは正面玄関の柱とか、またはレストランのメニューを掲示した屋外の照明付き看板のガラス板の内側にもヤモリだかトカゲだかが入っていて、ビックリしました。でも、そういうのがそこいらに居る方が自然な土地柄なんでしょうね。虫やトカゲが全く見当たらないラッフルズは、それだけ人手と手間をかけて、それらを宿泊客の目に触れないように駆除してるんだなと思いましたわ。虫や爬虫類の駆除だけでなく、大勢の人手を使って、毎日、どこかしらで絶え間なく外壁や屋根などの修理をしてました。1931年創業のホテルゆえに、たゆまぬメンテナンスがホテルを存続させる重要な鍵なんでしょうね。人件費は安いし、人は仕事に飢えている。だから、そういうところを存分に生かしてホテルの建物を常にメンテナンスして美しく保ち、サービスもつねに手厚く、いつ来ても変わらない、揺るぎないホスピタリティを提供することができるんだろうな、と納得しました。ビクトリア・アンコールも土地では指折りの高級ホテルですが、ラッフルズは人手のかけ方が一段階、違うのだろうな、と感じましたわね。

で、ビクトリア・アンコールの「ル・ビストロ・ドゥ・シェムリアップ」は、というと、シンプルで小じゃれた店内に、揃いの小粋な黒い制服を着た現地スタッフが感じの良い、素敵なレストランでした。お味もバッチリ。ワタクシら前菜もメインもそれぞれに取り、それらを互いにシェアしましたが、にこやかにシェア用のお皿を持ってきてくれて、実に感じのいい対応でした。


「ル・ビストロ・ドゥ・シェムリアップ」の店内


ここの料理も、全て美味しかったざます ワインも色んな国のものが揃っていて選ぶのが楽しかった


このレストランでは、我々の隣のテーブルに極東系のカップルが座ってました。日本人ではなく、K国でもない感じなので、香港を含む中国か、台湾からのカップルかな、という感じでしたが、とにかく見事に醒めてました。よく二人で旅行に出ることにしたねぇ…というぐらいに終わっちゃってる感じ。会話なし。(会話がないので何人か見当がつかなかった次第)互いに間をもたすためにスマホを弄っていたり、ぼーっとあたりを眺めていたり、という感じでしたが、女性の方はそれでもやや前のめりで相手に向き合っているのに対し(この女性、食事中にも小さなザックを背負ったままでした。ちと面妖)、男性の方は椅子の背に気疎そうに凭れて、あらぬ方をじっと眺めていることが多かったですね。主に男性の方がゲンナリして引いちゃってるという感じでした。旅行中に心境の変化を来たしたわけなのねん(笑)


美味しい夕食をしたためて、我らが宿へと歩いて帰還

ワタクシらは楽しくしゃべりつつ、「隣のカップルのかなり終わってる気配」を見るともなしに見物しながら美味しいフレンチを食したわけですが、ビストロを出て、すぐ近くの我らの宿まで歩いて帰り、部屋で一息入れてから、再びお気に入りの「エレファント・バー」で就寝前のお酒を楽しもうと1階に降りました。この夜の「エレファント・バー」は、その時は他の客の姿はなく、ワタシ達は奥のソファに通されて、プール同様貸し切り状態で優雅な「エレファント・バー」の雰囲気と、美味しいカクテルを楽しみました。この夜、ワタシが1杯目にオーダーしたのはブラック・ロシアン。美味でした。例のおつまみのバナナのスナックとよく合うお味。そして2杯目は、ラッフルズだからね、という事でシンガポール・スリングをオーダー。「famous "Singapore sling" please」 と頼むと、あの感じのよいエレファント・バーの女性が、とても嬉しそうに微笑みました。


そして再び「エレファント・バー」へ


ラッフルズだけにシンガポールスリングも一杯所望

そうして、ワタシ達が心楽しく一日の終わりに酒をたしなんでいると、3人の親子連れが廊下の向うから歩いてきて、バーの中を通り抜け、出て行きました。なんだろうね、と思っていると、暫くののち、乳飲み子を抱えた夫が、あのバーの女性に何事か話をして、ワタシ達の向い側のソファに子供を抱えて座りこみました。ワタシはあまりちゃんと見ていなかったのだけど、目の早い友によると、さっき通っていったこの男性の妻は、多分、現地人か辺境のアジア人じゃないか、との事。 あれあれ、そうなの?
男性は白人で、背のひょろりと高い、年の頃は30代半ばといったあたりのメガネをかけた気のいい感じの人でした。彼が抱いている赤ん坊は娘か息子か分りませんが、まだ1歳にもならないぐらいな、本当に乳飲み子の赤ん坊という感じ。男性は、疲れはて、途方に暮れた感じで、赤ん坊を抱えてソファに座っておりました。国際できちゃった結婚なんだろうねぇ…とワタクシらが思っていると、彼の妻とおぼしき女性がどこかから戻ってきて、彼に高飛車な様子で何か言いました。彼女はズングリと背が低く、ワタクシらの席に背を向けて立っていたので顔はしかと見えませんでしたが、雰囲気的には小グマ風といおうか、デルス・ウザーラ女版とでも言おうか、まぁ、実に奇妙なカップルという雰囲気ではありました。察するに、この男性は東南アジアに仕事で来ていて、家事に雇っていたメイドをうっかり孕ませてしまい、責任をとって結婚したところメイドは途端に豹変し、夫の金で買い物三昧の挙句、子供は生みっぱなしでさっぱり面倒をみないし、もう家事も一切しない、というテイタラクではないのかな、と。
憶測に過ぎないけれども、何やら瞬時にして人生模様が見えてしまった気がした次第。


この黒いソファに、乳飲み子を抱えて彼は座っていた 打ちひしがれて

事実、小グマ系のウザーラ妻は両手にあちこちの店の袋を沢山ぶら下げて、足を踏みならさんばかりに居丈高に乳飲み子を抱えた夫に文句を言い(「ちょっとあんた!何してるのよ。部屋に戻るわよ! さっさとしてよ。来るの?来ないの?どっちなのよ!」という感じでもあろうか)、言うだけ言うとクルリと向きを変えてバーを出て行きました。夫はOh!と苦しげに呻き、暫し天を仰いでおりました。他人があからさまに絶望する様子というのを目の当たりにしたのは初めてだったかも。この男性は、なまじ責任感のある善人だったせいで、この世の地獄に身を投じてしまった、という感じ。小グマ女が子供を産んだら居直って、プチプチ・イメルダ夫人化するなどとは全くの想定外だったんでしょうね。しばし天を仰いでから、かなりゲンナリした様子で深い溜息をつき、夫は子供を抱えて立ち上がるとうなだれて、屠殺場に引かれる牛のようにノロノロとバーを出て行きました。今からあんなに暗澹としていて、先の長い人生をどうするのかしらん。この先、赤ん坊を母のない子にしないためだけに苦渋と忍耐の人生を送るのか、それとも泥沼を覚悟で渡すものを渡して離婚し(あの妻は取れるだけのものは取ろうとすると思われる)、子供と新しい人生を生きるか…。あの夫はこれからどうするんだろうねぇ、とワタシ達は顔を見合わせました。ホテルでは、時に様々な人生模様が垣間見えるものでございますわね…。


翌日、また6時ごろに目覚めてプールで泳いだワタクシ達。今回は貸しきりではなく、ドイツ人らしき初老の夫妻がプールサイドの部屋からガウンを羽織って現れ、暫し、泳いでおりました。奥さんは物静か。ダンナさんはちょっとお茶目な感じ。我々と目があうと互いに「Good Morning」と挨拶しあい、和やかにプールを共有して泳ぎました。
この日はプールに入る前に、プール正面のテラス席から写真を撮ろうとすると、例のシブい男前の支配人とおぼしき男性が、もう1人の小太り白髪の50代後半から60代前半という感じの男性(副支配人かな?)と朝のコーヒーを飲みつつ、打ち合わせをしているような雰囲気でした。支配人は、早朝、プールサイドでコーヒーを飲みつつ、打ち合わせをするのがお好きらしい。ふほほ。ダークスーツとコーヒーがよくお似合いだこと。


そして再び、瞑想的なブルーグリーンの水を湛えたプールへ

プールで小一時間泳いだあと、部屋に戻ってシャワーを浴び、それからまた、ゆっくりとカフェ・ダンコールの朝食に向いました。この日も楽しみはあのヌードルスープ。ヌードルスープの担当は小柄なカンボジア人のおばちゃんなのですが、昨日は我々が初顔だったせいか、非常に態度が悪く、無愛想で切り口上で感じが悪かったんざますわ。で、一転して、白人が麺を頼むと、2オクターブぐらい高い声を出して「Good Morning sir」なんて、別人みたいに甘ったるいシロップ漬けの声で挨拶しているのを見て、なんなんだ、この女は、と呆れたりしてました。麺は美味しいけど、あのおばはんは鬼門だねぇ、と。でも、この日、二度目に現れたワタシ達を彼女は覚えていて、昨日、白人に話しかけたように、シロップ漬けの甘い高い声で「Good Morning」と挨拶してくれました。あなたがたはいつまでご逗留ですか?と聞くので、残念ながら今日が最終日です、と言うと、Oh!と哀しげに眉を下げました。彼女は人見知りが強い上に英語が上手くないので、初対面の客には対応がぎこちなくなってしまうんだとか。殊に、日本人は英語のダメな人が多いので、余計にコミュニケーションが上手くいかずに緊張するらしいという事が断片的な会話で分かりました。「あなたがたは英語が通じるから、とても楽です」とも言われました。そうですか。それは恐縮。ワタクシらの英語なんて適当なもんですわ。でも旅で適当英語を使うぐらいは、殆どの日本人はできると思うんだけれどねぇ。しかし、日本人は英語が下手な人が大半ですよねぇ、というのは、行きにホテルまで送ってくれた代理店の人も言ってましたわ。日本人観光客も、やはりリタイア後に夫婦や仲間で遺跡を見に行くという世代が多いので、日本語以外はどうもダメだという人が、多くシェムリアップに行くせいかもしれませんわね。


朝食の時間帯が終わりに近づき、宿泊客の姿も少なくなると、片隅で上級職のスタッフから朝食を摂り始める

ともあれ、ヌードルスープ担当のおばちゃんとも打ちとけたし、シャンパン担当のボーイさんは初日からにこやかで感じが良かったし、何を食べても素晴らしく美味しかったし、あぁ、このカフェ・ダンコールと今日を限りに暫しのお別れなんて切ないわぁとも思いつつ、とにかく食べておこうと思ったのに、ワタクシはこの朝、あまり食べられなかったんですね。つまり、プールから上がったあたりから調子が悪くなってきたんですのよね。咽喉がキンキンと痛くなってきて、唾を飲み込むのも辛いほどになってきた。つまり、夜の間に咽喉が炎症を起こし、この時は既に熱が出ていたんだと思いますが、体が妙にだるくて、食欲があまり湧かない。友は昨日と同じくガンガンと食べてますが、ワタシは無念なことにあまり食べられませんでした。…ああ、ヤバイな。これは。あの寒かったSPAで第一波がやってきて、ホテルで夜、ゆるくつけていたエアコンで室内が乾燥したのが拍車をかけ、早朝のプールがトリガーになって、遂に咽喉をやられてしまったのかもなり。ううう。昨夜は油断して枕近くに濡れタオルで湿度を作るということをしなかったのが失敗だったか。ナムサン。

でも、今日はカンボジア最終日で、ハノイ行きの飛行機は夕方の便だし、タ・プロムの遺跡を見物に行くため、トゥクトゥクも雇っている。第一、宿も正午にチェックアウトの予定だから、ダラダラしているわけにはいかぬざますわね。そんなわけで、名残惜しいけれども、正午少し前にチェックアウトした我々は、名物エレベータボーイと並んで、このホテルの顔でもある名物ドアボーイに荷物を預けました。このドアボーイは190cm以上はありそうな長身を民族衣装に包んで、常に少し恥ずかしそうな笑顔でドアを開けてくれる、とても感じのよい人でした。ワタシはこの人に好感を持ったので、並んで記念撮影し(でも、友が撮った写真は残念ながらかなりブレブレ)、いよいよホテルを出て空港に向かう時には、その大きな手と握手しました。彼は本当に感じのいい人でした。 彼に限らず、このホテルの人は、みんなホスピタリティに溢れた感じのいい人ばかりでしたねぇ。 あぁ、忘れがたい。


長身の名物ドアボーイ とても感じのいい人だった

というわけで、あの誠実そうなトゥクトゥク君の運転で、ワタクシらはタ・プロムの遺跡に向いました。その間もどんどん咽喉は痛くなってくるし、なんだかヤバイ感じなので、ワタシは日本から持参した葛根湯をミネラルウォーターで飲みました。ここからはずっと咽喉飴を手放せない状態が続くことに…。

タ・プロムはジャヤヴァルマン7世が母親のために建てた霊廟兼寺院だとか。敷地は広く、発見された当時の姿のまま残されている遺跡とのこと。でも木の根に侵食されて、損傷が激しくなってきたせいか、あちこちで修復作業が行われておりました。入り口でトゥクトゥクを降りてから、遺跡まではけっこう森の中の道を長く歩くんですね。その道中で、観光客が通ると民族楽器を奏でる楽団が演奏を始め、彼らの演奏を収めたCDなどを売ってました。なかなかいい音で、森の中で聴くと雰囲気は満点でした。K国の一団が一様に同じマスクをしてガヤガヤと通っていく際には、如才なく「アリラン」を演奏したりしてましたが、CD売れたのかしらん…。



タ・プロムについては、悪くなかったんだけれども、さほど強い印象が残っていないんですね。後で撮った写真を見返すとそれなりに風情があって良かったな、と思うのだけど、その時は本当に折悪しくワタシは体調を崩しかけていたので、感度が鈍っていたのもあり、遺跡に対してあまりちゃんと向き合わなかったのもあり、あちこち修復中で気分がそがれたという事もあったかも。でも、このアンコールのあちこちの遺跡修復には、欧米や日本および中国が資金を出してるんですね。どこが援助しているかというのは、修復している遺跡の修復現場の囲いに国旗が表示されているので分るとか。そういえば、日本は自衛隊がカンボジアに立派な道路も作ったものね。遺跡の修復に金も出さず、ただ下品にワイワイと見物に来て、みやげものを買い漁って帰るだけのK国とは全く違うんざます。






ターザンよろしく木のツルにぶら下がるイタリア人一家の息子 欧米人にはこういう感じではしゃぐ人が割りに居た

それなりの風情ある遺跡だったタ・プロム


遺跡をおびやかす巨木たち



ついでに、K国の団体旅行の様子で驚いた事を付け加えると、どの一団にも必ずツアコンが付いて来ているわけですが、ハノイからシェムリアップに移動する飛行機の中でも、K国一団の我先精神が炸裂してました。乗り込む時にもうるさく、座ってからもうるさく、あぁやれやれと思っていると、シートベルト着用のサインが消えるやいなや、ツアコンのおばちゃんが即行立ち上がって、勝手に飛行機の後部に行き、物入れから自分のツアー団体分の毛布を引っ張り出してきて、スッチー無視で勝手に自分の担当する団体客に配りまくったんですわ。ベトナム航空のスッチーは押えても押えきれぬのか、嫌な顔をしてました。毛布なんかかける程寒くもないし、1時間半で着く程度の距離なのに、一体何のつもりか。その後も僅か1時間半のフライトなのに、引きもきらずにトイレに行き、中には煙草禁止のサインが出ている時でもお構いなしに後部に行って煙草を吸う奴がいたりと、その騒々しさ、厚かましさ、田舎モノ度は超ド級。ベトナム航空のスッチーがワゴンを押して通路を進んでいる際、トイレに行こうとK国の女子が席に立っていたけれども、スッチーはこれを無視。いつものスピードを変えず、配るものを配りおえて、そのゾーンを通り過ぎるまで完全無視で席に立たせて待たせてました。面白かった。日頃から本当にあの国の一団にはウンザリしてるんだろうねぇ。お察しいたすわよ。

タ・プロムの遺跡見物を終え、予定ではもうひとつ、小ぶりな遺跡を見に行こうかと言っていたのだけど、ワタシはみるみる調子が悪くなってきた自分に気づいたざますのよね。で、アンコール・トムや、アンコール・ワットのある遺跡群の道をトゥクトゥク君に暫く走ってもらいました。風を受けて走っていた方が降りて歩きまわるよりもずっと楽だったから。友も、この遺跡群は三度目とあって、特にもう一度見たい遺跡もなかったのが幸いでした。相棒が見る気満々なのに、ワタシが不調になったせいで予定をキャンセルせざるを得なくなったら申し訳ないものね。で、1周した後は少し早いけど、ホテルに戻ってもらいました。16時に空港にワタシたちを送る代理店の人が迎えに来るのだけれど、その時はまだ14時半ぐらい。でも、トゥクトゥクを降りて再びホテル内に入った時、その冷房にワタシはゾクゾクと寒気を感じました。わー、イカンイカン。これはかなり来ちゃってるぞよ。咽喉の痛みもぶり返してきました。ラウンジでアフタヌーンティーでもしようかと思っていたのだけど、室内では寒くて耐えられないので、友はラウンジに残り、ワタシはプールサイドのデッキチェアに横たわり、バスタオルに包まって休息しました。どこかからそよ風が吹いてくるのが、元気な時には気持ちいいんだろうけど、具合が悪い時には肩先が寒いんですのよね。足先や手指の先が冷たくなっていたこの時、ワタシは咽喉の炎症から、多分38度以上熱が出ていたんだと思いますわ。とにかく、温かいところで体を休めて夜のフライトに備えねば、という事で1時間ぐらいうつらうつらとしたら、やや体が温まってきました。15時半に近くなったので、少し早いけど預けたバゲージを出してきてもらい、ロビー階の奥のトイレに行って、夏仕様の服を少し温かいものに着替えました。夕方から向うのはハノイで、ハノイとシェムリアップでは10度の気温差がありますのね。ハノイは冬の初めで最高気温は20度。けっこう涼しいんです。だから今から備えておいて間違いはないというわけ。長い丈のジーンズを履いて、トップスも温かいものに着替えたらロビーも寒く感じなくなりました。


再び戻ってきたホテルのラウンジ

旅先で調子が悪くなったのは初めてですが、なかなか辛いもんであると同時に、案外、基礎体力があるとそれなりに庇いつつ誤魔化し誤魔化し、どうにか動けたりするもんだなぁ、なんて思ったりもしてね。それにしても、もっと葛根湯を持ってくるんだったな、と反省。2包しか持参しなかったので、残り1包は飛行機に乗る前に飲む事にしよう、と温存しました。
そうこうするうちに迎えが来て、離れがたいラッフルズ・グランドホテル・ダンコールを後に、ワタシ達はシェムリアップ国際空港へと向い、夕方の便でハノイへ。



暫しさらば また逢う日まで

ラッフルズ・グランドホテル・ダンコールは、本当に素晴らしいホスピタリティを提供してくれました。必ず再び戻ってくると心に誓わざるを得ない、記憶の中の特別な場所に刻まれるホテル。まさにそこに泊まるためだけに、その土地に行く価値のあるホテル、そのホテルに泊まる事が旅の目的となるホテル、「目的地としてのホテル」でした。
I shall return. 遠くない将来、必ずや再び。
絶え間ない咽喉の痛みに悩まされつつも、ワタシは心に誓ったのでございます。

というわけで、ハノイ編は次回。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する