「ゼロ・グラビティ」 (GRAVITY)

-無重力ひとりぼっち-
2013年 米 アルフォンソ・キュアロン監督



なんとなく大体の流れは予測できるような気がしたものの、こういう映画は「やっぱり映画館で観ないとね」という作品の最たるものだろうし、おまけに、先に観てきた知人が「面白かった。2Dで観たけれども3Dで観ればよかったと思う」と言っていたので、飛び出し不要論者のワタクシとしては、う~ん、そうかな。どんなものだろうかな…と思いつつも、2Dで観る予定を曲げて、久方ぶりに3Dで観賞してみることにした。

前半は、ジョージ・クルーニーの余裕綽々ぶりに強い印象が残る。さすが現在、実質的なハリウッドのキング状態だけあって、いかなる状況でも鼻歌まじりの落ち着きっぷりが板についている。ジョジクルが演じるのはベテランの宇宙飛行士マット・コワルスキー。宇宙遊泳時間の記録を塗り替えようかというぐらいなベテランである。のべつまくなしにしゃべっていて、同じ話を何回もするのでヒューストンの作戦指揮官にとっては耳タコの話ばかりであり、そのつど遮られる有様だ。このヒューストンの作戦指揮官を声のみの出演で演じるのはエド・ハリス。でも、声だけだと正直誰だか分らない。あまり特色のない声なのだな、と再認識した。



話好きのベテラン、コワルスキーの今回の任務は、医療技術者のストーン博士(サンドラ・ブロック)が衛星の修理を行うという作業を補佐するというのが目的。今回が長い飛行士生活最後の宇宙飛行となるはずだったコワルスキーなのだが、彼らの船外作業中に、どこか離れた場所でロシアが自国の衛星を爆破したために、破片が作業中の彼らを襲ってくるという事態に見舞われる。大急ぎで船外作業を撤収して、シャトルに戻ろうとするコワルスキーとストーン博士だったが、ロシア衛星の破片はあっという間に襲いかかってきて、シャトルを破損し、ストーン博士とコワルスキー飛行士以外のシャトルの乗組員を全滅させてしまう。宇宙空間に放り出された二人はなんとか地球に生還しようと、あらんかぎりの知恵と力を振り絞ってサバイバルを開始するが…。

というわけで、登場人物は僅か二人。エド・ハリスは声でしか登場せず、ストーン博士とコワルスキー以外にもう1人船外作業をしていた飛行士も、しかと顔は映らない上にすぐにお亡くなりになってしまう有様なので、前半は殆ど二人芝居である。そして、この映画の面白さ、宇宙空間の恐ろしさというものは、主に全半に集中している気がする。ジョジクルが余裕綽々でしゃべりまくっている前半に。

ワタシは知人から、ほぼサンドラ・ブロックの1人芝居のような映画だ、と聞いていたのだけど、ジョジクルのベテラン宇宙飛行士もしっかとキャラが立っているし、けして映画が終わったあとも印象は薄れない。というよりも、ワタシは別にファンでも何でもないけれども、ジョジクルが出ていた前半を面白く観た。彼が演じる場数を踏んできたベテランというものの土壇場の落ち着きや、沢山積んだ経験値の有り難味などが映画の終盤までジンジンと効いていた気がする。

それにしても、べテラン飛行士というものは、いざとなった時にあそこまで落ち着いて、パニックも起さず、常にスッキリと意識がクリアで、冷静な状態を保てるものだろうか。多分、日頃はおちゃらけて頼りなく思える人でも、時に臨んでは、ごく普通の男が肝っ玉が座っていて、覚悟が出来ていたりするんだろうなぁ、などと思うと、日頃は頼りなく感じる職場のおしゃべり男子のあの人や、到底男とは思われないと女々しく感じているあの人なども、いざ、絶体絶命の状況に立ち至ったら、冷静で頼りになる「真の男」っぷりを発揮したりするんだろうかねぇ、などと思い、いや、彼らはちょっと違うだろうな、ふふ。なんて勝手に失礼な判断をしつつ、ジョジクルの堂々たるベテランぶりを眺めた。しかし、ジョジクル演じるコワルスキーは、本当にあそこで命綱を放す必要があったのだろうか。どうしてもそうしなければ二人とも助からなかっただろうか。何か考えれば方法はあったかもしれないのだが、彼はあのまま、永劫、宇宙遊泳を続けて未踏の記録を更新する道を選んだ。彼には、どうしても地上に戻りたい理由が明確に見出せなかったのではなかろうか、と思った。



前半はとにかく、船外作業をしていて、爆破されたロシアの衛星の破片が猛スピードで飛んで来てあちこちにぶつかり、その衝撃で1人死に、二人は宇宙に放り出されて離れ離れになり、回転しながら果てしない虚空の中に1人でただよい、シャトルは遠ざかり、しかも酸素が段々減って行く、という恐怖をサンドラ・ブロックとともに観客も追体験する感じだ。しかも、彼らが漂っているのは地球からさほど離れたところではない。常に眼下か頭上に青い地球はかなりの大きさで見えており、大陸の位置や形、大きな川などがありありと見えるぐらいの距離(地上から600kmらしい)である。地球はそうしてありありと見えてはいるが、ヒューストンのセンターとは交信が途絶えてしまっていて、ストーン博士とコワルスキーはすぐそこに見えている青い地球に生還の目処が立たないというもどかしい事態に陥るのである。身一つで宇宙に投げ出されて、勢いでくるくると廻りつつ、パニック状態に陥ったストーン博士(サンドラ・ブロック)の心理状態が、その荒い呼吸からありありと窺える。そのうちに、暗闇の中で漂う彼女の耳に、自分に呼びかけるコワルスキーの声が届く。明るくて冷静ないつもの声が…。



とにもかくにも、それぞれ放り出されたストーン博士とコワルスキーがどうにか互いをみつけて近寄り、ひとまずシャトルにたどり着くあたりまで、文字通り手に汗握りっぱなしの展開である。気がつくと両方の手の平が汗で濡れていた。そうだった。ハラハラすると手に汗握るというのは本当なんだよね…と久々にその感じを味わった。シャトルにたどり着いても、そこであぁやれやれと一息つく、というわけには行かず、あらたな苦難が待ち受けているわけなので、またすぐ手に汗握っちゃうんだけれど。

サンドラ・ブロックが1人芝居になってからは、1ミリの贅肉もない筋肉質で引き締まった彼女の姿に、何やら懐かしの「エイリアン」のリプリー(シガニー・ウィーバー)を思い出した人も多いんじゃないかと思う。そして、AMの電波を使ってどこかの基地との交信を図ろうとしたストーン博士が、地上の一般人の電波をキャッチし、その背後に赤ん坊の泣き声を聞くシーンで、そういえばアルフォンソ・キュアロンというのは「トゥモロー・ワールド」の監督だったっけな、と思い出した。「トゥモロー・ワールド」は暗闇に塗り籠められた未来社会のお話。「ゼロ・グラビティ」は音もなければ重力もない暗闇の宇宙空間のお話。双方に共通するのは、かすかな未来の明り(希望)の象徴として子供(赤ん坊)がフィーチュアされているという事だ。そして、原題の「GRAVITY」が実感できるラストへと雪崩れ込んでいくわけだが、ある意味、後半はお約束の展開で、いかにもアメリカ映画的と言えなくもない。この映画の肝は、あくまで前半の、宇宙空間というものの底知れない恐怖、人間の浅知恵や小手先の小細工を嘲笑うような予測不能の怖さ(今回の事故は人が起した人災なのだが、余波の及び方が宇宙ならではの恐怖を生む)、宇宙空間に放り出された時は、何かに掴まり損ねたら即アウト!というハラハラドキドキの展開をスリリングに、リアルに、映像化してみせた部分にあると思う。
映画全体を通じては、コワルスキーの提示する、可能性のある時と無い時の見極め、諦めるべき時と諦めてはいけない時の見極め、が印象深かった。



91分という凝縮された時間に、畳みかけるような展開でいささかのダレも緩みもなく、怒涛の展開に終始する映画だったが、さて、これは絶対に3Dで観なくてはならないか、2Dではダメなのか、という事になると、ワタシ的には2Dで全く支障なかったのではないかと思わざるを得ない。一応、宇宙モノという事もあって、節を曲げて3Dで観賞してみたが、たまにちょろちょろ画面から浮き出て見えるものがあったけれども、全体としては2Dで全然問題なかったと思う。飛び出しメガネの鬱陶しさや割高料金を考えたら、2Dで観れば良かったのにしまったと思う。IMAXとかで観てないからそう思うんだろう、と言う人もいるかもしれない。事実、IMAXでは観ていないので何とも言えないけれども、どうもさほどの違いは無いのではなかろうかと思われてならない。飛び出し不要論を曲げて3Dで観賞してみたが、映画は2Dで十分である、という、いつもの感想は覆らなかった。それと同時に、もっと確固たる信念をもって「飛び出し不要論」を貫かなければダメだなぁ、と、自分に対して些か忸怩たるものも感じた。

コメント

  • 2013/12/28 (Sat) 20:45

    kikiさんこんにちは。

    kikiさんも飛び出し不要論者だったのですね。
    私もそうなんです~。
    しかし今回は先に見に行った友人たちがみな
    「これは3Dで観ないとね~」と
    口をそろえていうものだから、そうかしらん???と3Dに傾いてはおりました。
    しかし、映画館に行ってみると、3Dで吹き替えか2Dで字幕という2者択一!
    迷わず後者にしました。

    kikiさんも書いておられたように、無駄なお肉のないサンドラブロックのように、ホント無駄のないシンプルな作りでぐぐっときましたね~。
    映像美を楽しむのに3Dは必要なのかもしれませんが、
    映画のおもしろさは別のところにあると私は思うのです。

    でもあれだけみんなに聞かされると、
    もう一度別の映画館で3Dで観てみたい気もしていますが・・・。

  • 2013/12/29 (Sun) 08:30

    akoさん こんにちは。

    そう。ワタシは割にコアな「飛び出し不要論」者なんですよ(笑)でも、今回はついウッカリと節を曲げてしまったんだけれど、曲げてはいけない、と改めて思いました。(そんな大袈裟なもんでもないけれどね。ふほ)
    「3Dで吹き替えか2Dで字幕という2者択一」という映画館はけっこうあるみたいですね。ワタシのよく行く映画館は3D字幕だったので一応3Dで観ましたが、こんなもんで3Dとか大騒ぎなの?しまったわ。いつものように3Dなんかサラリと無視して2Dで観るんだったな、と思いました。映画そのものは面白かったけれども、その面白さは2Dだから損なわれるなんてことは全く無いと思います。作り手にとっては新たな表現方法という事で3Dに手を出したくなるのかもしれないけど、いやー、本当に凄いな、奥行きを感じるな、未体験の映像だな、と思えるような3Dなんかお目にかかった事がないし、たとえそういう映像が観られたとしても、映画の表現形式としては2Dで十分だと思います。映画はテーマパークのアトラクションじゃないしね。ワタシ的には3Dは「余計な装飾」というイメージしかないかな。今回で、それが一層、明確になった気がしますわ。

  • 2013/12/30 (Mon) 15:59

    こんにちは。私も「3Dは不要派」です!(アバターだけは可)
    普段メガネをかけなれないので、3Dメガネが痛くて痛くて集中できないんですよ~(涙)。それになんとなく、画面も暗くなる気がして。
    でもこの作品、近所では3Dしかやってなくて、仕方なく、3Dで鑑賞。
    ヒュンヒュンとこちらに向かって飛んでくる破片を思わずよけてしまいました(笑)。
    作品は観ていて息が苦しくなるというか・・・酸素が少ないのがこちらにまで伝わってくるようでした。サンドラ・ブロック、熱演でした。
    エンドクレジットで、地上の声がエド・ハリスと知り、「アポロ13」を思い出してニヤリとしました。

  • 2013/12/30 (Mon) 23:54

    mayumiさん
    飛び出し不要ですよねぇ。どう考えても。そんなケレンは必要ないとしか思えないですわ。
    で、選択肢があればまだしも行きつけの映画館で3Dしかやってない、というのは困った事態ですよね。3Dを売りにしたい映画は3D上映しかない、みたいな事にならないようにしてもらいたいですわね。選択肢は残しておいて貰わないとね(笑)破片が飛んでくるようなシーンもそんなに沢山ないですよね。(そのシーンでは、ワタシも思わずよけましたが…ふほ)
    サンドラ・ブロックも頑張ってましたが、ワタシはこの映画のジョジクルはけっこうナイスだな、と思いました。命の瀬戸際にあそこまで落ち着いていられるというのはクールの極みじゃないかしらん。儲け役なり。ふほほ。

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