健さん死して「生き様」を残す?

-イメージを全うするということ-



今年(2014年)の11月10日に高倉 健が亡くなっていたと知ってびっくりしていたら、幾ばくもなく菅原文太の訃報も飛び込んで来て、かつての任侠映画のスターが相次いで鬼籍に入るという事になってしまった。高倉 健は芸名だが、菅原文太は本名であるらしい。そこに何やら、この二人の俳優としての現れ方の違いが象徴されているような気もするが、今回は二人の対比ではなく、謎に包まれた私生活を押し通した高倉 健についての雑感。

高倉 健といえば、「不器用ですから」というCMのキャッチと、とにかく寒いところでばかりロケをして映画を撮っていた「寒冷地俳優」であるということ、そして、東映で任侠映画に出ていた時は、確かにカッコよかったな、というイメージがすぐに浮かぶ。

ワタシは高倉 健については、東映任侠映画の花盛りの時期に、男代表・高倉 健、女代表・藤 純子みたいなピタリと決まった男女の一対の片割れとして、いいなと思った程度で(ちなみにワタシはリアルタイムでこれらの映画を観ていた世代ではない)、別段ファンというわけではない。



東映任侠映画というのは、確かにプログラムピクチャーで、キャストも毎度同じなら、プロットも同じようなものの繰り返しであり、いかにも大衆娯楽の最たるものではあったのだろうけれど、明治、大正、昭和初期という時代設定の中で、任侠世界に生きる男とその陰に咲く女の情、義理に絡めとられた狭い世界観の中で生まれるぎりぎりのドラマ、クラシカルな時代背景が産む独特の情緒など、映画としての「美」と世界観の美学を、娯楽性と併せ持っていたのが特徴だと思う。殊に、加藤泰や山下耕作といった監督の作品には、「やくざ映画」とひと括りにしてしまえないリリシズムと映像美が満ちており、映画としての魅惑を放っている。

もっとも、健さんや純子などの主演スターは一人で主演シリーズを3つほど持って、それらに出続けながら、他のスターの主演ものに付きあわなくてはならず、明けても暮れても同じような役で延々と続く撮影に耐えねばならなかった。それゆえ、全共闘という時代の風に後押しされて黄金時代を築いた東映任侠映画の隆盛期は、世間の熱狂と裏腹に、主演スター達にとっては、かなりフラストレーションの溜まる時期ではあったらしい。
酷使されて、どちらかといえばイヤイヤながらやっている、という感じだったのだろうけれども、高倉 健も藤 純子もそれらの映画の中で、映画スターとして不滅の輝きを放っていた事は間違いない。本人は不本意でも大衆の求めに応じて演じた役の方が、客観的に観ればまばゆく輝いていたりするものなのである。



高倉 健は任侠映画全盛期に、あまりに酷使されてイヤになり、ふらっと3ヶ月ぐらい失踪してしまったらしいけれども、ある時、それらの自分の主演映画を上映している映画館に入ってみて、全く気持ちが入っていず、イヤイヤながらこなしていた映画に観客が大熱狂していることに不思議な気持ちにもなり、ちっとも作品に気持ちの入っていない自分を申し訳なくも感じたらしい。
そうこうしているうちに、純子の引退が呼び水になってか、任侠映画黄金期は終焉を迎え、高倉 健は新しい役柄を模索して東映を去る。

フリーになってからの高倉 健の映画で、良いのはやはり山田洋次が監督した2本「幸せの黄色いハンカチ」および「遥かなる山の呼び声」だと思う。ワタシは前者よりも後者がずっと好きだし、出来もいいと思っているけれども、東映任侠映画の代表作以外の高倉 健の主演作で良いといえるのは、松竹のこの2本だけなのではないかという気がする。

もちろん「八甲田山」とか「南極物語」とか、撮影が困難で制作費もかかった大作もあり、話題にもなったし大ヒットもしたけれども、映画として観た場合に前者はともかく、後者はどうかなぁ、という気もするし、その他の「野生の証明」、「冬の華」、「動乱」、「海峡」、「駅 STATION」、「居酒屋兆治 」、「夜叉」、「あ・うん」も、どうも映画としては今ひとつな印象があり、中には観る気がしないものもある。ハリウッド映画に出たものは「ザ・ヤクザ」を除いては、「ミスター・ベースボール」も「ブラックレイン」も、存在感が薄かったような気がする。(「ブラックレイン」は松田優作のために存在した映画だろう)

後期の出演作の中で有名なのは1999年の「鉄道員(ぽっぽや)」だろうし、これを好きな人もいるのだろうけれども、映画としてはさほどいい出来の作品というわけでもない気がする。その後、2000年代に入ると、高倉 健が主演映画を撮って、世間にお披露目に出て来るまでのインターバルがかなり長くなり、ケンさんといえば、段々と渡辺 謙の事になっていった感もある。



そういえば高倉 健ってどうしたのかな、と思っていたら一昨年「あなたへ」の予告編を劇場で見かけた。随分久しぶりに観る高倉 健は、さすがにおじいさんになったなぁ…という印象が強かった。背中のラインが鈍くなり、歩き方がヨロヨロしているような感じがした。
「鉄道員(ぽっぽや)」(1999)までは、いつもの高倉 健で、幾つになっているのか分からないけれども、これまでと変わらないな、という印象だったのだが、さすがにその11年後ともなると老いは拭いようもなく高倉 健を覆っており、高倉 健でもおじいさんになるのか…と不思議な感慨があった。その時に、高倉 健が2012年時点で81歳になっていると知り、かなり驚いたのだった。
80代と分かってみれば、高倉 健は年齢よりは確かに若く見えるのだが、それまで何十年もあまり変わらない感じだったので、「あなたへ」では急に愕然と老いたなぁ、という印象を持った。
健さんの没後に、70代の終りごろに前立腺癌を患った事が明らかになり、そうか、病気をしたので衰えたんだなと分かった。あれだけ常に体を鍛え、健康には留意していた筈の高倉 健も、晩年は病気に捕まってしまったとは…。人間の儚さを感じないわけにはいかない。

漠然と、高倉 健はすごく長生きするのではないかと思っていた。仏像みたいな長くて大きな耳をしていたので、90歳までは確実に生きるだろうと思っていたら、83歳で亡くなってしまった。森繁久彌、森光子と奇しくも同じ命日だというのも話題になっていたが、確かに不思議な偶然だ。いずれにしてもこの霜月の高倉 健の訃報は世間をたいそう驚かせたし、過去の主演映画があれこれと追悼番組としてTV放映され、国民栄誉賞を!という声も上がっている。そういえば高倉 健は昨年、文化勲章も受賞している。
勲章を貰えばいいというわけではないが、ワタシはこういうニュースを聞くたびに、高倉 健に文化勲章や国民栄誉賞が授与されるものなら、そのまえにまず三船敏郎に授与すべきだったのではないか、とどうしても思ってしまうのだ。敏ちゃんファンとしては。
ここ何年かで三船敏郎は晩年のスキャンダルによるイメージ低下を払拭して、本来の俳優としての素晴らしい存在感から評価が戻りつつあるような気がするのだが、彼の晩年をすっかり泥まみれにしてしまった愛人スキャンダルが尾を引いたのか、あれだけの世界に誇る輝かしい映画界への貢献と名声にも関わらず、三船敏郎に与えられたのは勲三等瑞宝章が最高位である。三船敏郎を尊敬していた菅原文太は、三船さんに勲三等なんて失礼な。そんなもの断ればよかったのに!と三船敏郎の追悼特集記事の中で憤慨していた。ワタシもそう思う。



三船敏郎は映画に対するストイックな姿勢や、スタッフの隅々にまで気を配る人柄、付き人も付けず、偉ぶらず、体を鍛え、辛抱強く、撮影に入るまでにはセリフは完璧に頭に入っていたというプロとしてのありようも、高倉 健の先達のような俳優だ。三船敏郎と高倉 健で何が違ったかというと、三船敏郎は酒乱で、酒を飲んだ上での、あまり褒められない逸話が結構有る事と、やはり晩年の、それまでのイメージを台無しにしてしまった愛人騒ぎと三船プロの分裂騒ぎという2つのスキャンダルが響いて大きくイメージダウンしてしまったのに反し、高倉 健はいつも単身で、極力マスコミの餌食になるような動きを避け、映画を撮り終わるとすぐに海外に旅立ってしがらみを断った。私生活は極力、非公開。あまりに公けに姿を現さないので死亡説が流れるほどに、世間の目を逃れ続けた。「無口」というスクリーンイメージを巧く使って、公けには殆ど発言をせず、現場では共演者やスタッフに気配りをして好かれた。徹底して私生活には干渉されたくない、という姿勢は、些かガルボチックでもある。俳優として最高ランクのギャラを取るようになり、主演映画の興収を歩合性で受け取るようにして経済的なゆとりを保ち、意に染まぬ仕事は受けずに済むようにして、やりたい仕事だけをやり、仕事が終わればいずこへか旅立って身を隠し、謎のベールの向こう側に、映画に出ていない時の人生を閉ざした。そういう生き方は映画俳優としてのステータスやスクリーン・イメージを高める事には大きく寄与したが、そんな生き方を選んだ事によって犠牲にしたものもまた、かなり大きかったのではないかと思われる。高倉 健が珍しく生前に出たインタビュー番組を見ながら、映画のために色々なものを犠牲にしたという高倉 健と、ガルボ・イメージを守り抜くために、他のもの全てを犠牲にしているといってもいい、と語ったガルボが、ありようとして少し重なって見えた。世間に対して、自分のたぐいまれな印象やイメージを強固に残そうと思ったら、他の事は全て犠牲にして、それを守り抜く覚悟と姿勢がなければ、到底そんなものは守りきれるものではないのだろう。
今回の訃報に接して、世間が頭(こうべ)を垂れて一様に哀悼の意を表しているのは、彼が長年、用心深く神秘のベールを張って守り抜いた、そのスクリーン・イメージのなせる技なのだと思う。



滅多にインタビューなど受けない高倉 健が、2年前に密着取材のインタビュー番組のオファーを受けたのは、「あなたへ」の宣伝だけではなく、70代後半になって癌を患い、永遠の命はないという事をしみじみと痛感していたからなのだろうが、素の高倉 健はコミカルな語り口で素朴なユーモアがあり、世間がずっと抱いてきた「高倉 健」のイメージよりも愛嬌があって好感が持てた。ワタシはスクリーンの高倉 健よりも、素の高倉 健の方に、より興味が湧いた。インタビュー番組での高倉 健は、功成り、名遂げて、お金もあれば、80を過ぎても現役で主演を張って仕事ができるという幸運に恵まれているのに、あまり満たされていないし、幸せでもなさそうだった。常に何かを求めて前進しているが、求めているものを得てしまうと、自分が本当に求めていたものはそれではなかった事に気付き、何を求めているのか分からなくなる…そんな印象を受けた。無常観がどこかに漂っていたのは、数年前に患った癌の予後でもあったからなのだろうか。

江利チエミと離婚してから一度も結婚しなかったのは、江利チエミが45歳の若さで不遇な死を遂げたからというだけではなく、高倉 健が性格的に気難しくて結婚には不向きだったという事もあるのかもしれない。いずれにしても、その生き方を見ていて、複雑なメンタリティの人だったのだろうことは推察できる。根強くゲイという噂もあったが、そういうわけでもないようだ。
江利チエミの唐突な訃報が流れた時期には、立て続けに映画で競演した倍賞千恵子との仲が噂されていた。あのタイミングで江利チエミがあんな風に一生を閉じなければ、倍賞千恵子とはその後どうなっていたのか、はたまたどうにもなりはしなかったのか、神のみぞ知ることである。

「高倉 健」という生き方を貫き通して、そのスクリーン・イメージは世間にしっかりとキープされたが、果たして彼本人はどれほど幸せだったのだろうか…。興味深いインタビュー番組を見ながら、何かいろいろと感慨深い気分になった。

謹んで高倉 健さんのご冥福をお祈りします。

コメント

  • 2014/12/22 (Mon) 14:53

    kikiさん
    ばぁばです。
    健さん感、まったく同感です。彼が日本映画界に残した足跡が大きいのは認めますが、文化勲章受章報には驚きました。しかもその訃報、朝日新聞、一面トップの扱いとは・・
    文化勲章、そう、三船敏郎、に上げたかった!彼はスキャンダルや、黒沢監督の不仲説やらで、割くったのでしょうかね。
    イタリア、トリノのランドマークともいわれる、モーレ・アントネッリアーナの中に映画博物館があります。一見の価値ありで、もしいらっしゃってなければ、おすすめの場所ですが、そこに世界の映画男優の写真が壁いっぱいに飾られていて、もちろん三船敏郎だと思って探したら、なんと、なんと、菅原健二でした。
    係りのひとに異議をとなえたのですが、どういう経過でこうなったかはわからないそうで、察するところ、彼の奥さん、お金持ちでしたから、コネか、なんかでこうなったのではと・・・
    マスコミの俳優の評価は必ずしも一般大衆、とりわけ鑑識眼豊かなブログライターのあなたのような方のとは一致しない、わたしは映画批評はもう、新聞雑誌のは読む必要なし、と決め込んでいる昨今です。

  • 2014/12/23 (Tue) 21:06

    ばぁばさん
    文化勲章はどうか分かりませんが、国民栄誉賞というのは、その時の政府や総理大臣の意向で決まるらしいので、やはり晩年のスキャンダルが祟ってか、三船敏郎は受賞してませんよね。あれだけの功績からすれば、国民栄誉賞も文化勲章も、貰ってしかるべきものは全て貰っていて不思議はないのに…。別に高倉健が貰ったっていいとは思いますが、その前にまず三船敏郎にあげるべきだったのに、という思いはどうしても拭えません。

    トリノに映画博物館があるんですか。機会があれば行ってみたいところですね。そこの壁に菅原健二の写真というのも何か不思議な取り合わせ。でもちょっと微笑ましいかも。

    ワタシは何の利害関係もなく、自分が感じたことを感じたままに書いているので、そういう意味ではブログというのはワタシに適したツールなんだと思いますが、雑誌などに書いているプロの映画ライターになると、いろんな人間関係や利害関係が生じてしまって、そうそう自分が思ったままを好き勝手に書くわけにもいかぬのかもしれませんわね。

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