「妻の心」

~あの日の雨宿り…~
1956年 東宝 成瀬巳喜男監督


敏ちゃん!

群馬の桐生を舞台に、戦後の流れが古いものを押し流し始める時代に、振るわなくなってきた家業のたしに敷地内に喫茶店をはじめようとする若い夫婦と、彼らを取り巻く人間模様、そして夫婦の機微を綴った小品。主演の若妻に成瀬映画の不動のヒロイン・高峰秀子。その夫に、われらが敏ちゃん!と言いたいところだが、敏ちゃんはデコの夫役ではなく、その友達の兄で銀行員の役。夫には小林桂樹。この人がまた茫洋とした中にいい味わいを出している。身勝手な長男(千秋 実)の代わりに店を継いだ、実直だがキレ者ではない次男坊を淡々と演じていていい。


デコと桂樹

喫茶店の開業資金の融資を喜代子(高峰)が友の兄・健吉に頼みに行く下りで敏ちゃん登場。主婦がいきなり喫茶店を始めるわけなので、近所の定食屋に修行方々手伝いに出ている喜代子の様子をにこやかに眺めているショットが敏ちゃんのファーストシーン。この店は敏ちゃん演じる健吉の行きつけのランチスポットなのである。三つ揃いの背広を着こなし、年の頃37?8あたり。黒髪の艶も匂うばかりの男盛りである。低い、いい声で一言「だいぶ手付きがうまくなりましたね」


なんちゅう男前か

言われた喜代子は嬉しくてニッコニコ。旦那には見せない媚びもちらつく。
こんな男前の上に、性質が温和で、おまけに独身。田舎町の芸者が数人オネツをあげているのも当然だ。

家業を継ぐのを嫌がって長男なのにさっさと家を出て勤め人になった挙句、会社が潰れたといって舞い戻ってくる厚顔な兄の千秋 実が巧い。その妻に、生活感のある女や控えめそうで図々しい女をやらせると天下一品の中北千枝子が扮して、迷惑な居候一家の空気をよく出している。


兄夫婦

この兄一家が巻き起こす波風で、段々弟夫婦の間もギクシャクしてくる。姑は我侭勝手な長男に肩入れする様子。喜代子は家の中が面白くないので、余計に定食屋の手伝いにのめりこむ。このウジウジとした老舗の家に比べて、友人弓子(杉 葉子)の家は兄(三船)と二人で明るく自由である。この新旧ふたつの家のありようが対照的だ。



敏ちゃんは、この「妻の心」では、ほのかに妹の友達である喜代子に想いを寄せる穏やかなインテリの紳士を演じていて、その普通の人っぷりが実に爽やか。けしてあからさまには出さないが、彼女のことが気に懸かる様子がさりげなく出ていて奥ゆかしいのだ。家の中がゴタゴタしている上に夫も外泊したりして、喜代子はしんどい。夫の愚痴を健吉に言うわけではないが、彼女が結婚生活に悩んでいるのはハッキリと分る。好きだった女が結婚して、幸せだったら諦めもつくが、あまり幸せそうでないと気になって心が動いてしまう。そんな男の心をさらっと品良く演じているのが、とてもいい。
妹と、喜代子が大変そうだという話をしながら、結婚して何年になるのかと問い、妹が5年よ、と答えると健吉はぽつりと「ふぅん、昔とちっとも変らないなぁ」と言う。妹はハっとしたように兄を見る。兄は妹の視線を受けかねてそらす。男が昔から知っている女について「ちっとも変らないなぁ」などというのは気のある証拠だ。



喜代子と健吉が、散歩の途中で雨に降られて茶店で雨宿りをするシーンが全編中のハイライト。昔、妹も交えて3人でよく来た散歩道。妹を先に片付けたいがゆっくり良い相手を探すと言ってなかなか結婚しない、と言う健吉に「それはほんとですわ。大事な事ですもの、うっかり結婚したら大変…」とつい本音が出てしまう喜代子。それを聞く健吉はいつになく固まって、困ったような怒ったような顔で考え込む。外はしのつく雨。



ややののち、意を決した健吉が喜代子に何事か言おうと身を乗り出した時(喜代子もある予感をもってそれを待ち受ける)、店の奥から茶店のおばはんが出てくる。出鼻をくじかれた健吉は我に帰り、言おうとした言葉は永遠に彼の胸にしまわれる。暫しののち、雨も止んで来る。健吉は何事もなかったように「行きましょうか」と席を立つ。この辺の緊迫感と淡い情感がにじむような演出。二人の表情の演技が心憎いばかり。絶妙の間である。何かがほんの少しズレていたら、人生の局面はひっくり返ったのだ。しかし、全ては雨とともに流れ去り、元のままの二人が残った。そして、ある事件をキッカケに亀裂を生じ始めていた夫婦仲も収束に向かい、喜代子は結婚生活をどうにか続けていこうと決める。人生の分岐点は瞬きする間に流れ去る。どちらに行くのが正解なのか。やむなく進んだ道でも正解にしていくのが生きるという事でもあろうか。

敏ちゃんは、黒澤明・稲垣浩・岡本喜八らの作品で、英雄豪傑の大ヒーローを演じる傍ら、その他の監督の作品ではごく普通の男を含羞をにじませて演じていたりして味わい深い。当初は何と言っても敏ちゃんは「用心棒」である、と思っていたワタシだけれど、敏ちゃん出演の黒澤作品の殆どを観て、「宮本武蔵」だの「無法松の一生」だのの稲垣作品を観て、岡本喜八に付合った主演作も数本観た後でこの「妻の心」を観た時、ワタシの中で敏ちゃんは永遠の日本男児ステキングになった。ワタシ的敏ちゃんの裏ベスト1(表は一応まだ「用心棒」)である。 茶店で一瞬見せる困ったような顔と真剣な顔に見るたび心をくすぐられている。

  旧ブログのコメント(6)

コメント

  • 2010/06/24 (Thu) 08:47

    kikiさん、やっと見れました。どうもどうも。

    小品って感じの日常生活にありそうないざこざをうまく描き出しているとっても良い作品でしたわ。
    なんといっても言葉でなく姿形や目線、ためなどで見せている感情表現が多くて行間を読むような雰囲気が(とはいっても成瀬巳喜男ってこんな感じの映画が多いのでしょうか?見た事ないからわからない)なかなかよかったです。
    みんな役者でそれぞれが上手いのね~。敏ちゃんも大きなガタイながら落ち着いた雰囲気を醸し出していて、言いそうで言わない奥ゆかしさがなんとも言えずいいですわね。うーんあの雨宿りのシーンもこっちが見ていてちょっと気を揉んでしまうほどでしたが、そこがまた良いわ。ドブをさらっている下駄履きの敏ちゃんもなかなかよかった。
    総領の甚六の千秋実も上手いし、小林桂樹も煮え切らないけど誠実そうな感じがこれまたいいし。もちろんデコちゃんは言うまでもありませんが。
    家の中の調度品もすごく懐かしくて、食器をしまうのもそうだった、昔はこういう木の引き戸の中に全部しまってたなあ、とか台所とか、さすがにうちには囲炉裏は切ってなかったけどガラス戸や長い廊下など懐かしかったです。

    それにしてもこういう映画を見ると日本人は本当にあの頃に比べたらとてつもなく変わってしまったなと思いますわ。外に出かける時はきちんと着物に着替えてとか、挨拶の仕方やはっきりものを言わないあの遠慮がちな態度、奥ゆかしさなど、もう今の日本には見るべくもないような。または私がそういう世界に住んでいないだけなのか。ああいう世界に嫁として住んでいればあんな窮屈な暮らしはうんざりだと思う気持ちがあったからこそ、現在は核家族化などが進んでいると思うのですが、それでもなぜかああいう情景を懐かしく感じるというのはまあ、無くなったものへの感傷なんでしょうかね。

    敏ちゃんとデコちゃんが心を通わせているのはそこはかとなくお互いわかっていてもそこで一歩踏み出す事なく、元の世界に戻ってしまうのはなんともはや。
    でもそれで良いのかも知れないですね。やはりその大事な時に踏み出すチャンスをうっかり逃してしまうとそのあとはもうどうしようもなく引き返せないものだというのはよくわかります。そういう気持ちを心に残しつつも今ある人生をしっかり歩んで行くのは大人だなと。そういうのってまあ今時あんまりないでしょうけどね。

    というわけで何と言うか見ていてホッとする映画でした。筋書きは全然ホッとしないんだけどね。

  • 2010/06/24 (Thu) 22:47

    Sophieさん。「妻の心」なかなか良かったでしょう?お気にめされたようで何よりなり。
    この行間を読ませるような余韻のある感じというのは昔の日本映画には(特に名匠と言われるような監督の作品には)常套的に使われる映画文法という感じ。成瀬に限らず、小津でも、豊田四郎でも、その他でも、みんなどこやらそういう感じがありますわ。昔の日本映画は本当にレベルが高かったのよ。監督も脚本家もスタッフも俳優たちも今とは段違い並行棒。今の人達はなんとなく素人芸に毛が生えた程度だけど、昔は本当にプロ中のプロが脇役の端にいたるまで揃ってたのよね。「あ~、こんな配役、今じゃ望むべくもないわね」という出演者があっちこっちの映画でいい仕事をしていて贅沢だなと思います。そしておっしゃる通り、昔の日本映画を観る楽しみのひとつに、昔の日本と日本人を追体験する、という事があるわよね。ワタシ達の世代は辛うじて大家族時代の日本の尻尾を味わっていて、祖父や祖母が元気で自分が幼かった頃の日本は、人々が懐かしむ昭和の日本なのね。うちもワタシが生まれた頃は大家族だったけど、小学生の頃には叔父叔母が独立し、祖父と祖母も近所のマンションに隠居して核家族になってたから過渡期だったのかなぁと思うわ。昔の映画を観ると、家や室内の佇まい、昔の町や、昔の建物なども見ていて飽きないし、昔の日本人は本当に奥ゆかしくて慎みがあったなぁ、と思うわよね。

    昔の日本と日本人を見ていて、ノスタルジーだけではない何かを感じるとしたら、やはりあまりに今の日本に失われてしまったものについて、漠然と希求するところがあるからなのかもしれないですね。昔のありようの方がまっとうじゃないかと、思わざるをえないものね。

    で、敏ちゃん。良いでしょう?なんとも言えないでしょう?これは彼が普通の男を演じた作品のNo.1じゃないかと思うのよね。秘すれば花って事で、結局言わずに心に秘めたというところがえもいわれず奥ゆかしいの。なんでもかんでも口に出してしまえばいいってものじゃないなぁ、と改めて思うわよね。でもタイミングが合えば流れは変わったわけで、そのへんがまた人生の機微ってことで。(笑)敏ちゃんは背広が似合って、そこはかとなく品があって、本当に好男子なり。デコはいつもの通り上手いし、千秋実も小林桂樹も(兄弟という配役がナイスね。なんか似てるもの)好演でした。佳作というか、いい映画よね。で、成瀬は小津より良いとワタシは思ってるのだけど、もし成瀬作品に興味が湧いたら「乱れる」も見てみて。これはTSUTAYAにもあると思うわ。この作品をみている間だけ加山雄三を見直すわよ。そしてまたもデコは小売店のおかみさんなんだけど、女の哀しみ横溢よ。そしてあのなんともいいようのないラストを、是非体験して貰いたいなり。そうやって屈指の作品を何本か見て行くと、段々日本映画にハマるわよ。ふふふ。だってほんとにハイレベルだもの。昔の日本映画って。

  • 2010/06/25 (Fri) 01:07

    「妻の心」、ほんとうにいい作品ですね。成瀬監督モノでは小品・佳作の類なのかもしれませんが、わたしは(敏ちゃんが出ていることもあり)大好きです。敏ちゃんのあんなさわやか銀行員ぷりが見れるなんて、わたしにはとっても贅沢な作品です(笑)。最近「女が階段を上るとき」を観賞。このデコは好きでした。森さんも!
    敏ちゃんファンになってから、昔の邦画に興味を持ち、ここ半年ほ
    どでたくさんの作品をむさぼるように見て、なんて面白いんだろう、という今まで知らなかった発見がうれしくて、kikiさんがおっしゃるように、ほんとに昔の邦画はハイレベルだったんだなあと実感。今の時代の作品をほとんど見ないのでそれを批評するのも憚られますが、今のわたしが1950年代、60年代の作品をワクワクして目を釘付けにされるような高揚感というものは昨今の作品にはきっと発見するべくもないと思われます。テレビドラマの延長のような作品、CMに出演しているからイメージを壊さないような無難な演技を求められる綺麗なお飾りのような女優陣・・。それで満足できればいいけれど、昔の邦画の底力を目の当たりにしてしまうとちゃんちゃらおかしくて較べるのも失礼な話ですね。
    昔の日本映画の面白さを知るにつけ、もっともっと皆見ればいいのに~!とほんとに声を大にして伝えたい気持ちでいっぱいです。が、こんな小さな叫びは聞き入れてもらえないのが残念無念です。
    でも我々の先達が残してくれた宝の山に触れもせず、知りもせずに終わってしまうことが同じニッポン人として惜しくて惜しくて仕方がないという思いです。
    そんなわたしもまだまだ見てない、見れない作品がいっぱいで、各映画会社の皆さまに早いとこDVD化してください、と心の底から願って止みません。

  • 2010/06/25 (Fri) 07:09

    ミナリコさん。これは隠れたお宝というか、ひっそりと光っている真珠のような映画ですわね。あの銀行員役によく敏ちゃんをキャスティングしたなと思いますよ。池部良とかその他の普通の二枚目じゃなく、ね。さすが成瀬巳喜男。慧眼です。
    で、デコの「女が階段を上るとき」も見られたのですのね。銀座の雇われマダムの話で、仲代とかも出てましたね。ミナリコさんも敏ちゃんをキッカケに日本映画への扉が開かれて本当に良かったですよね。なんせ昔の日本映画は宝の山ですから。最近の映画でもちゃんとしたものはあるのだけど、TVドラマやCMからのスピンオフみたいなのは本当にやめたらどうか、と思いますわ。そんなのはTVでやれ、と思います。あの安い俳優たちのTV的演技を見ているだけでゲンナリしちゃって。思うに、映画館で上映されても成り立ちがTVドラマなものはやっぱりTVドラマなんですよ。逆にTVで自宅で見ていても、成り立ちが映画なものはやっぱり映画です。映画館で見れば映画だってことじゃないとワタシは思うのね。どんな小さな画面で観ようと映画はやっぱり映画なんですね。

    古い日本映画の良さについて、興味がない人を気合を入れて説伏するよりも、自分が面白いと思うものを楽しんで折々記事など書いているうちに、段々に同じ感覚の人が増えればいいな、とワタシは思ってますが、昔の日本映画好きな人もけっこういますよ。神保町シアターやその他のミニシアターも、作品にもよるだろうし席数が少ないってこともあるけど、けっこう埋まってるし、日本映画専門チャンネルみたいに、日本映画好きには欠かせないチャンネルもあるしね。昔、銀座の並木座に、雨の降ったねぼけたようなフィルムで上映された古い日本映画(それこそ小津だの溝口だの)を時折観に行ったけど、劇場内に柱があって席によっては画面が柱で分断されちゃったりするような環境で(それはそれでいかにも昔の名画座的情緒がありましたが)細々と古い映画を観た頃から較べたら、随分と楽にいい環境で昔の作品が楽しめるようになったもんだと思います。デジタルの恩恵で昔の映画もクリアな映像で観られるしね。だから神保町シアターやラピュタ阿佐ヶ谷みたいな劇場が、東京以外の都市にもできるといいですよね。そして、日本映画専門チャンネルは未DVD化のレアな作品もけっこう放映してくれるので重宝しますよ。ミナリコさんもあれが視聴できるようになったのは、本当に良かったですね。
    そういえば、ついこの前、溝口の「赤線地帯」を深夜にBSフジで放映してたのを久々に観たのだけど、もう出てくる人がみんな上手いのなんのって。計算高い若尾文子が良いです。グイグイ来てますよ。木暮実千代も上手いです。これ、お薦めですわよ。

  • 2015/04/25 (Sat) 09:20
    映画『下町』について書きます

    映画『下町』について。
    なぜか『下町』について、私のPCではコメントの欄が出てこないので、ここに書きます。

    ここに出てくる三船敏郎は、彼の実像に近く、さらに彼が監督した唯一の作品『五十万人の遺産』の鉛筆会社の課長で、ケチで小心な男が一番彼に近いように思います。

    『下町』については、阿佐ヶ谷ラピュタで見ていた時、隣に叔母さん二人がいて、「人生を感じちゃったわね」と言っていたのをよく憶えています。
    千葉泰樹は非常に優れた監督で、成瀬巳喜男の名作『浮雲』が、当初は千葉が監督する予定でしたが、病気で成瀬に代わったということでも彼のレベルの高さがわかると思います。

  • 2015/04/26 (Sun) 16:04

    旧ブログで出していた記事をこちらに移植した物の場合、既にコメントがある程度入っているものは、新規にコメント入力は出来ないように設定してあるのです。

    三船敏郎は三船プロダクションを立ち上げて、毎日自分で事務所の掃除をしていたらしいですね。三船プロに入った新人女優が掃除のおじさんかと思ったら三船本人で驚いた、というエピソードを何かで読んだ事があります。

    千葉泰樹はいい監督ですよね。彼の映画では、いくつかとても好きなものがあります。

  • 2016/05/27 (Fri) 09:11
    南国

    本編を見た時、三船敏郎と高峰秀子のコンビネーションが佳くって、以前見た千葉泰樹監督の(東京の恋人)も思い出しました。三船敏郎&原節子の息の合ったコンビがまた佳かったですー。三船はイミテーションのダイヤモンド作りで原は街の似顔絵画家といった役処…。焼け跡残る下町が舞台で勝鬨橋の開閉シーンもドラマに一役かっています!今回は(妻の心)は山田宏一氏の日本映画評論でも雨のシーンが取り上げられていましたね…。

    • PineWood #mdX0xzVk
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  • 2016/05/30 (Mon) 00:04
    Re: 南国

    PineWoodさん
    確か、「東京の恋人」にもコメントをいただいたような気がします。「妻の心」しっとりしていい作品ですが、三船敏郎と原節子なら、ワタシはやはり「愛情の決算」が一番好きかな、という感じです。

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