「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」(ONLY LOVERS LEFT ALIVE)

-吸血鬼もラクじゃない-
2013年 英/米/独 ジム・ジャームッシュ監督



これは封切り時に「観たいな」と思っていたのだが、行こうと思っているうちに、いつの間にか上映が終わってしまった作品だった。じゃぁDVDになったら、と思っていたのに、すっかり忘れ果てていたところ、先日WOWOWで放映されたので、「Oh!」と早速に捕獲。ワタシは、ジム・ジャームッシュ作品とはあまり相性がよくないという先入観があったのだけど、これは、そこはかとなく面白かった。

とにかく吸血鬼のカップルに、ティルダ・スウィントンとトム・ヒドルストンというだけでも観たい気分をそそられる。年上の女吸血鬼と、その若いツバメとのカップルというと、ワタシはやはり1983年の「ハンガー」を思い出さないわけにはいかない。カトリーヌ・ドヌーヴがまだ60年代からの全盛期の美しさを100%キープしていた時期で、年下の愛人で200年の時を彼女とともに生きて来た青年にデヴィッド・ボウイが扮していた。映画としてはイマイチだった気がするが、この顔合わせだけでも観ないわけにはいかない映画だった。ガサガサしたスーザン・サランドンと、クールでノーブルなカトリーヌ・ドヌーブの対比も印象に残っている。


60年代初頭から90年代初頭まで、ずっとこういう感じだったドヌーヴ

さて。本作に話を戻すと、
女はイヴ、男はアダム。いつからどうして人でないものになってしまったのか分からないが、天国の向かいか地獄の隣を彷徨う失楽園のアダムとイヴでもあろうか。
女が年上のカップルという点では、今回の吸血鬼カップルも「ハンガー」と同じだが、二人がふだんは一緒に生活しているわけではない、というのがユニークだ。二人は何世紀もの間に3度も結婚している夫婦ではあるが、かなり離れて住んでいる。女はモロッコのタンジールに、男はデトロイトに。二人が何故一緒に住まないのかは分からない。
ジョン・ハート演じる「キット」がティルダ・スウィントン演じるイヴに訊く。「どうして一緒に住まないんだ?お互いなしでは生きていかれんのに」と。イヴは何も答えない。何百年もカップルでいると、たまに逢う新鮮さが関係を長続きさせるためには必須になるのかもしれない。



アダムはデトロイトで引きこもりの音楽家として暮らしている。時折、白衣を着て、近くの病院の研究室に務める医師ワトソン(ジェフリー・ライト)に金を渡し、闇で血液を買っている。それが彼の食糧なのである。ジェフリー・ライトの登場シーンも飄々とした味があって、くすくすと笑える。なんかヤバい奴だな、と思ってはいるのだが、金になるので血液の横流しを引き受けているさもしい研究員(もしくは医者)の雰囲気が面白い。アダム(トム・ヒドルストン)は、一応医者の格好をして、サングラスをかけ、白衣にネームプレートをつけている。曰く、「ファウスト博士」。ははは。
ジェフリー・ライト演じる医師は、どう見ても偽名なこの名前をからかって、毎度、呼び名を変える。「ストレンジラブ博士」とか、「カリガリ博士」とか、ね。くすくすくす。



トム・ヒドルストン演じるアダムは、ちょっとレトロ趣味で1950年代〜60年代のグッズが好きらしい。エレキギターもヴィンテージ物を使用し、収集もしているし、医師の変装をしても、聴診器は60年代の骨董ものを下げていたりして、妙なところに趣味を押し通している。
ワタシは、トム・ヒドルストンについて、これまで、特にどういう印象も持った事がなかった。ハンサムで毛並みが良さそうだけど、あまり興味がない、という感じである。でも、本作で初めて、トム・ヒドルストンていい感じだな、と思った。もの静かで内向的でモワーっとしているのが、どことなく松田龍平チックだったりもするが、モサモサのダークヘアの下から覗く目が、とても綺麗だな、と初めて思った。長くながく生きて来て、どこやら長らえる事に疲れを感じ出しているようなアダムの心象風景を表す為か、常に物憂げで、うつむいた顔によぎる憂いがとてもナイスだった。今回のトム・ヒドルストンのどこが良かったのかというと、このそこはかとない憂いが漂っている感じが良かったのだと思う。それと、この映画では常にささやくような声でセリフを言っているのだが、声質とエロキューションも良かった。ナレーションなどで声だけ聞いてもいい感じだろうと思う。



一方のティルダ・スウィントンは、年ふりた老婆のように見える時もあれば、40代のモード系の女にも見えるという感じで、その年齢不詳の表れ方がナイスだった。白髪っぽいが白髪ではない色あせたプラチナブロンドのような、微妙な色の髪がモサモサと盛り上がっている。この、モサモサとした艶や油気のない髪というのが、この映画における吸血鬼の証なのかもしれないが、とにかく、アダムもイヴも水分のないモサモサヘアである。



イヴはタンジールにひっそりと住み、食糧の供給は昔からの(本当に凄い昔からの)友人であるキットに頼っている。親愛なるイヴと自分のために上物の血液を調達するキット役でジョン・ハートが登場。ひゃひゃひゃ。ジョン・ハート。どこに何の役で出て来ても、なんだかしっくりとハマる人である。このキットが実は、謎と伝説の多い16世紀の有名な詩人で劇作家のクリストファー・マーロウである、という設定がまた、クスリときてしまうところだ。
クリストファー・マーロウは、無頼でゲイで無神論者であるとされ、その死も謀殺説があり、謎めいているのだが、マーロウにまつわる文学史上有名なスキャンダルについて、真相をもうそろそろ明らかにしたら?と水を向けるイヴに対して、謎のままにしておく、とマーロウは答える。面白みのない人ね、とイヴに呆れられても、その方針は変わらぬらしい。



長い時を生きながらも、少しずつ衰えているらしいマーロウは、イヴと話しながらも、折々意識がふっと別のところに浮遊していってしまう。そのふっと行って、おもむろにまた戻って来る感じが、まだらボケの老人のようで、ジョン・ハートが巧いなぁ、という感じだった。白髪まじりのロングヘアもよく似合っていた。

イヴは、アダムと違って非常に前向きな性格で、新しいものを躊躇なく取り入れる。iPhoneを愛用しているイヴに対し、アダムはそういった最新のギアには一切興味を示さず、使わず、ひたすらに1900年代初頭から80年代ぐらいまでの物を愛好している。

ふさぎの虫に取り憑かれて鬱状態になりつつあるアダムをチアアップするため、イヴは面倒を乗り越えてデトロイトに旅することを決意する。「旅は面倒なのよ」とイヴはアダムに言うのだが、飛行機は慎重に、夜飛び立って、夜着く便を選ばなくてはならないし、乗り継ぎ地もロンドンは避けて別の場所にしなくてはならない。(ロンドンには何か忌まわしい過去があるのであろう。乗り継ぎ地にロンドンを提案されて、イヴは全力で拒否する)確かにけっこう面倒である。ようやく希望通りの便を確保しても、飛行機の中でも予期せぬ誘惑と戦わなくてはならない。近くの乗客が缶のプルリングで誤って指を切り、出血したりすると、「あぁ、そこに新鮮な血が…」と思いつつ、欲求を抑えなくてはならないのだ。色々と気苦労が多いわけである。旅行は出来る限り避けたいのは無理もない。
ふとした誘惑、という点では、アダムも医者のコスプレで病院内に入り、外来の治療室などで血を見かけると、内なる欲求を抑えるためにしばし葛藤する様子が描かれている。


夜から夜へと都合のいい便がなければ、おいそれと移動もできない…なかなか大変なのだ

このように、吸血鬼の立場になって描写されるあれこれが、妙にリアルなのが面白い。食糧にありついていない時、ぐったりとベッドに横たわって、どことなくひからび気味でいるのが、美味しい上物の血を飲めば、至福と愉悦で満面の笑みを浮かべ、顔も精気を帯び、歯も小さな牙が生えてくる。ティルダ・スウィントンもトム・ヒドルストンもジョン・ハートも、いかにも栄養いっぱいの美味しいものを飲んだ〜、という感じの表情が良い。また、イヴがタンジールからデトロイトに来る際、血をアイスキャンデー状態にして持ってくる。「初の試みよ」といいながらアダムに1本すすめ、二人は赤黒い血液アイスキャンディーをペロペロと舐める。そのアイスキャンディーの赤黒さを見ていると、口の中に血の味がしてくるような気がするから不思議だ。


あぁ…至福

デトロイトに着いたイヴを迎えたアダムは、二人で久々の蜜月を過ごすが、そこに、イヴの問題児の妹エヴァが転がり込んできた事から、二人は厄介な事態に巻き込まれてしまう…。

というわけで、一応、ちょっとした波乱はあるものの、特にドラマチックな大事件が起きるわけでもなく、怒濤の展開があるわけでもなく、淡々とオフビートな「吸血鬼の日常」を描いた作品であるところが、ちょっと異色で面白かった。この味はやはりヨーロッパの監督とUK出身の主演女優、俳優の醸し出す空気感のなせるワザだろう。淡々としているが、世界観はしっかりと作り上げられている。なかんずく、ティルダ・スウィントンとトム・ヒドルストンのコンビネーションは、ルックスからして、いかにもピッタリで、何世紀にも渡って親密なソウルメイトで有り続けて来た二人、という感じが画面から漂って来るのにニンマリしてしまった。



ジョン・ハートも適役だったし、欲求を抑える事ができない、イヴの問題児の妹エヴァ役のミア・ワシコウスカもまずまずハマっていたと思う。ミアはティルダに比べるといかにも若く、二人が一緒に画面に映っていると姉妹というよりは母と娘のように見えてしまった。また、この映画でのミアは、ちょっと菅野美穂に似て見えた。



本作は、「等身大の吸血鬼」を描いているのが、この手の映画として新鮮だったと思う。イヴもアダムも、願っているのは心の平安で、人間社会に害をなそうとは少しも考えていない。だから、出来る限り生身の人間を襲う事もしない。病院から良質な血液を闇で入手して、誰にも知られず、目立たぬように、ひっそりと生きているのである。血を飲まなければ生きていけない因果な生き物に生まれついてしまったので(あるいはどこかで、そういう生き物に変容してしまったので)、なるべく穏便に血液を手に入れて飢えないように生きていこう、という感じである。この吸血鬼たちが人間の事をゾンビ、と読んでいるのも皮肉たっぷりである。

浮世離れたお話なのに、吸血鬼たちのありようや、その悩みが妙にリアルで等身大なので、もしも自分がこういう特殊な生き物になってしまったら、やっぱりこういう感じで生きて行くかもしれないなぁ、などと考えたりした。


どこまでも二人…

うっかりすると、どこで命が終わるか分からないが、何世紀も果てしなく時を駆けていくためには、心身ともにピッタリなベターハーフは欠かせない。アダムとイヴは可能な限りずっと二人で夜の世界を生きていくのだろうが、どちらかが先に汚染された血でも飲んで世を去る羽目になってしまったら、残された方は新しい伴侶を作ってまた生きながらえるよりも、そこで自分も世を去ることを選ぶだろうなぁ、と思った。

互いの為に作られたような存在には、過去と未来に渡って何世紀生きていくとしても、そうそう巡り会えるものではないだろうから。

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