「ビューティフル・マインド」(A BEAUTIFUL MIND)

2001年 米 ロン・ハワード監督
-John Nash ”The Mysterious West Virginia Genius”-



普段は忘れているが、なにかで時折、ふと思い出しては観たくなる映画というのが何本かあるのだけれども、これもその1本。少し前にザ・シネマで放映していたのを捕獲して、かなり久々に鑑賞した。「天才数学者でありつつも統合失調症」という主人公は、天才だけど○○という主人公の型をポピュラーなジャンルとして確立したのではないかと思う。演出的にも、忘れがたく印象的なシーンがちりばめられているし、ジェームズ・ホーナーのテーマ曲も耳に残る。天才数学者ゆえに、大戦時の暗号解読に駆り出されたという部分で共通点があるせいか、先頃「イミテーション・ゲーム」を観た後で、しきりにこの映画を思い出した。
本作はもちろん、俳優たちの演技も良い。ラッセル・クロウ、ジェニファー・コネリーが良いのはむろんだが、学生時代からのライバルで、統合失調症に苦しみつつも黙々と数学に取り組むナッシュ(クロウ)を背後から支え続けるハンセンを演じたジョシュ・ルーカスも、さりげに良かったと思う。



ナッシュのイマジナリー・フレンドを演じたポール・ベタニーと、ナッシュの妻役のジェニファー・コネリーは、この映画で共演したのがキッカケで結婚したのだったっけ。ナッシュの幻覚に登場する人物の一人である、政府情報機関の男パーチャーを演じたエド・ハリスも、妖怪人間ベムのようなルックスで、いかにも役にハマっていた。





この映画も、もう14〜5年も前の作品になるのだが、久々に観ると昨今では随分オッサンになってしまったラッセル・クロウの若さに驚く。殊に、プリンストンの大学院生時代を演じている時など、田舎から出てきた素朴な天才、という感じが、モサっとした服装や動きで表されていて、対人関係に不器用な、半分笑いかけて、半分とまどっているような表情がいかにも若く、ラッセル・クロウは童顔でポチャっとしているので、初々しささえ漂わせていた。
なで肩で背も高くないし、マッチョな英雄マキシマス(「グラディエーター」)は、彼としてはイレギュラーな役だったのかもしれない。



プリンストンの大学院で、共にカーネギー奨学生だったマーティン・ハンセン(ジョシュ・ルーカス)と、ジョン・ナッシュ(ラッセル・クロウ)の、ライバルとしてのありようもシーソー・ゲームで興味深い。彼らがキャンパスの中庭で、碁やチェスを打つシーンがなんとなく好きだ。碁でハンセンに負けたナッシュが、これはゲームとして欠陥がある、勝てる手を打ったのに!と騒いだりする。

当初は、自分ほどの天才は居ないと、自信満々、意気揚々で嫌味なほどだったハンセンだが、大学院を出る頃には、ナッシュが飛躍的な理論を打ち立てて抜きん出る。いかにも仲間うちで浮き上がりそうで、友達も居なさそうなナッシュだが、ハンセンを初めとする同期の学生仲間と近所のバーにビールを飲みに行ったりもする。ある日、その店に居たブロンドの娘を仲間がみな狙っているという事から、集団における意思決定のメカニズムを定式化するアイデアを思いつき、理論化する。
ハンセンは象牙の塔で出世するタイプの普通の秀才だが、そういう秀才と、全くの独創的な理論を生み出すナッシュのような天才との違い。目標だったウィーラー研究所に入れなかったハンセンは、増上満の鼻をへし折られる。が、ウィーラー研究所に入ったナッシュには、試練が待ち受けている。上がったり、下がったりだ。その後の歳月、互いに自分の道を進みながら、類い稀な才能を認めたハンセンがナッシュに示す混じりけのない友情など、二人の対照的な数学者のありようが興味深い。

憧れのウィーラー研究所に入り、暗号解読に携わることになったナッシュが、壁一面に並んだ数字の羅列を見ていると、黒いボードに並んだ白い数字の幾つかがぽうっと光って(彼の脳の中で)動き出す。無意識のうちにパターンを拾い出してしまう彼の習性を表すシーンだ。この数字の動きなどは、今ではよく見かける演出だが、こういうのは、この映画が走りなのではないかと思う。封切り時に初めてこの映画を観た時、ただ数字が並んでいるだけなのに、ところどころ、ぽっと光ったり、浮き上がったり、ゆらゆらと動いたりするとミステリアスな気分になるものだな、と感じた事を思い出した。



この光る数字と並んで忘れがたいのが、のちに妻になるアリシアをパーティに誘い、二人で夜空の星を見上げるシーンだ。何か好きな形を言ってみて、とナッシュが言う。アリシアが「傘」と言うと、ナッシュはアリシアの手を取り、夜空に傘の形を描く。星がおぼろげに傘の形に光って見える。…あらあら。大学院時代には、バーで女性を引っかけようとして「セックスなんて所詮は体液の交換だから、面倒な手続きは省いててっとり早くやらせろ」とか言って引っぱたかれていた事を思えば、随分成長したもんである。(でも結局、アリシアにもその後のデートで、手順は尊重しようと思うけれども、本音では手順は飛ばして、すぐにでも君と寝たい、というような事を言う)
このシーンは、後にナッシュの闘病を苦しみつつ支える事になるアリシアが、過去の美しい思い出として、回帰したいと願う出会いの頃の象徴だ。映画全体として見ても、美しいシーンだと思う。



ジェニファー・コネリーは、この映画では折々、ぽかっと口を開けている事が多く、白痴美のような感じがするので、もうちっと口は閉じていた方がいいのに、と何度か思ったけれども、幼い子供を抱えつつ、自らも働きながら、統合失調症で幻覚を見て、妄想に浸り、常にモワーっとしている夫の面倒も看るというのは、本当に並大抵じゃない、という雰囲気はよく出ていた。
彼女は義務感と怒りと逃げたいという罪悪感に苛まれつつ、出会った頃のナッシュを思い出す事で厳しい日常に耐えているのである。映画の中盤は、結婚後、統合失調症が亢進して入院加療を余儀なくされたナッシュが、妻の忍耐に支えられて過ごす時代が描かれる。投薬の副作用でか、モワーっとして子守りさえおぼつかない夫。性欲も減退してただの同居人になってしまっている。妻は耐えきれずに、夜中にヒステリーを起こして叫ぶ。妻のやり場のない叫びをなすすべもなく聞くしかないナッシュ…。

60年代の初め、入院生活から日常に戻ったナッシュは、古巣のプリンストンの図書館の片隅で、地道に数学を研究する生活に入る。ワタシがこの映画で最も好きなのは、このあたりからラストまでの後半部分だ。片隅でいいから研究のためにプリンストンに来る事を許可してほしいと頼みに行ったナッシュが、久々にハンセンと再会する。ハンセンは象牙の塔で出世して学部長か何かになっていて、かつてのライバルを暖かく迎える。頭のイカレた変なオヤジとして学生たちにあざけられつつも、こつこつと毎日大学の図書館に通い、研究を続けるナッシュ。
ぶつぶつとつぶやきながら、自転車を無限大の軌跡を描いて漕ぐ。


学生たちにコケにされつつも、黙々と図書館通いを続ける

そんなコツコツとした研究生活を送りつつ、いつしか70年代に入り、ナッシュの髪にも白いものが混じる。70年代の終り、図書館の片隅で窓ガラスに数式を書き連ねる彼のもとに、若い学生がやってきて声をかける。あなたのような独創的な理論を生み出したい、と目を輝かせる学生との交流が、彼に自信を持たせ、教壇に上がる勇気を与える。さらに歳月が流れ、教授としての年輪を重ねたナッシュの前に、ノーベル賞選考委員会から派遣された人物が現れる…。



というわけで、クライマックスからラストに向けての盛り上げはさすがにロン・ハワード。ハリウッドの王道を行くお手並みで、手抜かりなくしっかりと盛り上がっている。

映画の序盤で、何か世間をあっと言わせるような理論をものさなくては、と焦りつつも何も思い浮かばない日々、担当教授から「まずは何かをやり遂げたまえ」と諭されるナッシュが目の当たりにした「ペン」の光景…。それは学内の教授専用のクラブで、類い稀な功績のあった学者に、同僚の学者たちが自分の万年筆を捧げて敬意を表するセレモニーだった。野心ではち切れそうになりながら、羨望と、そこはかとない絶望をもって、そのセレモニーを眺めた若きナッシュ。その伏線が、遠くクライマックスの、ノーベル賞選考委員会からやってきたトーマス・キングと教授専用クラブで初めてお茶を飲むシーンに活かされる。自分は招かれざる客だと思い、けしてそこに足を踏み入れなかったナッシュ。トーマス・キングに誘われて、おどおどしながら入り、紅茶を注文する。キングと話をしていると、一人の教授がナッシュの元に来て、握手を求め、万年筆をテーブルに置く。すると、次々に教授たちがナッシュの元を訪れ、敬意を表し、愛用の万年筆を置いて行く。ナッシュが呆然としながら、「これは、最も予期していなかった事だ」とポツリと言う。ワタシはこのシーンが大好きで、何度か見てはじんわりした。この「ペン」のシーンこそはクライマックスであり、このあとでは、ノーベル賞授賞式のシーンは殆ど付け足しのようなものである。



この映画で「夫の苦難の時を支えた妻の珠玉の夫婦愛」が非常に印象的に謳われていたので、映画が話題になったあと、ジョン・ナッシュとアリシアは、実は1963年に離婚していたという事を知って驚いた。昨今のホーキング博士の伝記映画などでも、夫の苦難を支える妻がフィーチュアされ、夫婦愛が喧伝されているものの、実際にはとっくに離婚している、という事はけっこうある。しかし、ずっと添い遂げなかったにせよ、ある時期まで、夫の苦難の日々を妻が支えた事は事実なのだろうし、ナッシュの妻だったアリシアは、離婚してのちも30年ほど、彼を同居人として引き取り、闘病生活を支えている。



映画は、実在の人物をモデルにしていても、映画として描きたい事に主軸を据えるので、モデルになった人物の人生も、その主旨によって要素が取捨選択され、脚色もされる。現実は映画よりも、もっと混沌としているのでもあろうし、きれいごとばかりでもないのだろうとは思うが、実際との幾つかの違いは脇において、映画は映画として賞味すればいいのだと思う。

***
ワタシはほんの子供の頃から(数学ではなく小学校の算数の時代から)、そっちの系統がとても苦手だった。自分にはどうしても、問題を数式にあてはめる事ができないのに、得意な人はすらすらと、それはこの公式に当てはめれば簡単だよ、とか言って問題を解いてしまう。あるいは公式に当てはめなくても解いてしまったりする。それはワタシにとって、かなりワンダーな事だった。だから数学が得意な人にはいまだに憧れがあるし、「天才数学者の数奇な人生」なんて謳い文句を聞くと、どうしても惹き寄せられざるをえない。小川洋子の「博士が愛した数式」を読んだとき、久々にそんな数学と、数学を得意とする人への遠い憧れを思い出した。それと同時に「天才数学者の数奇な人生」ということで、この「ビューティフル・マインド」を思い出したりもした。

天才数学者には、境界線上の危うい人、強烈な変人、または奇行の人が多いような気がするのだが、それさえもが、その人の天才性と特異性をより際立たせるための必須要因にさえ思えてしまうのは何故だろうか。天才数学者がごくフツーの人であってもいいのだろうが、スレスレの人か変人か奇行の人であってくれた方が、より存在としてロマンティックだなどと思ってしまうのはワタシだけだろうか。
…思い込みというのは、なにやら因果なものである。

*****
昨今、唐突にジョン・ナッシュの訃報を聞いて驚いた。現地時間の2015年5月23日、午後4時、ジョン・ナッシュはニュージャージーの空港から乗ったタクシーが事故を起こし、同乗した妻とともに帰らぬ人となった。ノルウェーでアーペル賞を受賞しての帰途だった。同乗していた妻の名を見て、ワタシは覚えずホッとした。最後の瞬間までジョン・ナッシュの傍に居たのはアリシアだった。一度は離婚し、ナッシュはその後別の相手と再婚したりしたが、最終的にはアリシアと復縁していたのだろう。数奇な人生を生きた数学者とその妻は、最後は事故死という形で唐突にこの世を去ってしまったが、ジョン・ナッシュとアリシアが二人で一緒に旅立ったということに、ある人生の物語にきちんと幕が引かれた事への不思議な安堵を感じた。

コメント

  • 2015/04/20 (Mon) 11:12

    kikiさん、こんにちは。
    この映画、クロウが一番名作に出ずっぱりな時代でしたね。
    ワイルドな役が多い彼ですが、彼の持ち味はどれも人間臭さ溢れる役です。
    レ・ミゼラブルでの歌声には驚きましたが。
    人間臭さといえば、どの分野にも「秀才」「エリート」と呼ばれる人は存在しますが、彼らからは人間臭さがあまり感じられません。無機質で、冷徹で、人生の前半は高度な頭脳により会社や組織で重宝されますが、人生の後半は孤独な生活者が多い気が致します。
    かわって、「天才」特に精神病やその他ハンディを背負って、周囲から浮いてるのに世俗的な享楽には興味すら抱かず、不乱に自分の興味のある分野に打ち込む子供のような人からは溢れる人間臭さを感じます。
    数学者物理学者ではホーキンスやノイマン、岡潔などが当てはまるでしょうか。アインシュタインもかな?
    数学っていうと数字、つまり答えの明確な数式で固いイメージがありますが、天才らにはそれらが記号やら匂いやら色と同じような漠然としたイメージに感じたり、想像的かつ芸術的な美しさに受けとられることが多々ありますよね。
    そういった感性は頭の中で超高速で働くので、一般と違い早く答えに近づけたり出来る。また、宗教的哲学的な意味合いで数字と向き合う性質があるため、人間臭さがそこににじみ出る。
    天才が産み出した数式には美や簡潔性、人間臭さが良く表れているのがとても神秘的です。自然や宇宙と繋がっているようで、単なる机上の計算と違う。彼らは高度な頭脳を持ってるのに、家にある皿の置き場所を覚えられなかったり、対人関係でノイローゼになったり、デリケートかつ凡人以下の習性を持っていたり、逆に宗教じみたこだわりを持って生きてます。
    頭脳の謎は未だに解明されてませんが、わたしも秀才派より天才派が好きです。
    数字に色や匂いがあるなんて、素敵。


  • 2015/04/20 (Mon) 23:02

    sanctuaryさん こんばんは。
    そうそう、90年代末から2000年代初頭は、ラッセル・クロウの台頭期でしたね。マキシマスをやってたかと思えば「インサイダー」でどかんと太って老けた役をやったりね。そしてこの映画で演技派としてのポジションを揺るぎないものにしたんですわね。

    秀才より天才の方が人間臭い、というのも確かにあるかもしれませんね。または、そういうリマーカブルな人は、多少の欠点や欠陥があってくれた方が素直にその才能を認める気になれる、というか、それでこそいよよ輝くような気もするんですよね。不思議だけど。

    そうそう。高等数学の世界になると、だたの無機的な数字や、一面的な解答じゃなくて、何か全く別の世界に入っていきますよね。ワタシは時折、小学校の高学年か中学1年ぐらいの時に、数学ってなんて面白いんだろう、と目覚めさせてくれるような導き手に出会えていたら、自分も高等数学の世界を楽しむところに入っていけたんじゃないかと思ったりするんですよね…。少なくとも、入り口ぐらいには立てたんじゃなかろうかと…。 まぁ、願望ですけれども。

    高等数学はイマジネーションがものを言う世界のような気がします。発想力とか。そこでは、数字にも色や匂いがまつわるんですね。
    天才数学者って、なろうと思ってなれるものじゃないし、そういう人はそういう人で、苦しい事も多いんでしょうけど、なんだか存在そのものがドラマティックですよね。天才ともなれば、やはり数奇な人生を歩んでくれないとね(笑)

  • 2015/04/25 (Sat) 00:33

    kikiさん 
    お久しぶりです~懐かしい!ビューティフルマインドですね。
     博士と彼女のセオリーを観たばっかりで、あの映画を観ながらしきりに
    このビューティフルマインドを思い出していたところです。
    エディレッドメインはレミゼラブルでラッセルクロウと共演してますよね。
    ラッセルは共演者が後にアカデミー賞を受賞する率が高いなあと以前感じたものですが。
     今年のアカデミー賞ではホーキング博士(彼は数学者というより、物理学者ではありますが)とアランチューリングの映画がノミネートされましたが、藤原正彦の天才の栄光と挫折という本で知る限り、幸せな天才っていないものだとため息がでます。でもホーキング博士はまあ幸せなほうかしら。ナッシュも最終的にはいいんじゃないのと思うのですが、アランチューリングは性的マイノリティーがゆえに、最後まで悲劇の人でした。
     エニグマはまだ当地で上映されてませんが、新しいショッピングモールの新しいシネコンで上映されそうです。観たいのはやまやまですが、遠くて混むことを考えるとつい億劫です(私も経年劣化してますね)でもビューティフルマインドはまた鑑賞します。実はDVDをもっているのです。

  • 2015/04/26 (Sun) 16:18

    ふうさん お久しぶりですね〜。お元気そうでなによりです。
    「博士と彼女のセオリー」ね。ああいうのを観ていると、確かにこれを思い出しますよね。あれは評判がいいらしいですが、ワタシはバッチ君のBBC版のホーキングの伝記ドラマを見て、それでけっこう満足しているので、同じようなものをもうひとつ見る必要も感じず、まだ観ておりませぬが、エディ・レッドメイン、頑張ってる感じですね。そうそう、クロウとも共演してますよね。
    「イミテーション・ゲーム」は、映画として悪くないけど、ちょっと辛い気分にもなりますわ。そして、チューリングがアメリカ人だったら長生きできたのに、と思わないではいられませんでしたわ。
    天才は、みんな大変ですよね。波瀾万丈だし、人並みはずれた試練も多いですね。悲劇的だし。

    「ビューティフル・マインド」のDVDを持っておられるんですね。けっこうお気に入り映画だったんですか。というか、ラッセル・クロウを昔ちょっと気に入っていた、とか?(笑)ワタシも「グラディエーター」の頃はほんの一瞬、ラッセル・クロウのファンでした。すぐに飽きちゃったけど(笑)

  • 2015/04/26 (Sun) 16:19
    Re: タイトルなし

    ふほほ。細かい事はお気になさらずですわ。

  • 2015/05/29 (Fri) 11:35

    kikiさん

     この映画のモデルとなったナッシュ夫妻が先日亡くなったようですね。
    交通事故で夫婦して同時に亡くなるなんて最後までドラマチックな生涯でした。それにしても偶然とはいえ、久しぶりに映画を思い出してDVDを鑑賞したばかりだったので訃報には驚きました。
     ナッシュさんは長年統合失調症を患った天才でしたが、社会的な評価もされ、奥さんのアリシアさんといっしょに旅立たれて、まだ幸せな生涯だったかな~と(最近イミテーションゲームを観たばかりですので、ついアランチューリングを思って)
     ご冥福をお祈りします。

  • 2015/05/30 (Sat) 10:23


    ふうさん
    「イミテーション・ゲーム」のお陰でか、久々に「ビューティフル・マインド」を観たあとで、いくらもしないうちに訃報が、それも夫婦揃っての訃報が飛び来んできて驚きましたが、同乗していた夫人がアリシアで良かったと、他人事ながらホッとしました。ナッシュとアリシアは運命の二人だったんですね。何か人生の輪がきれいに閉じられたな、という感触を持ちました。事故死というのはちょっと辛いですが、それもドラマチックな人生を生きた夫婦の締めくくりらしいのかな、と。
    ほんと、浮かばれないチューリングと比べると、波瀾万丈ではあったけれどもナッシュは幸せ者ですよね。功績もたたえられ、ビョーキの変人という扱いから大々的な名誉回復もなされて、最後はずっと寄り添ったアリシアと一緒に旅立って。果報者だと思います。

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