「美女と野獣」(La belle et la bête)

-定石を外してはならない-
2014年 仏/独 クリストフ・ガンズ監督



「美女と野獣」と聞けば、大半の人はデズ本舗(ディズニー)のアニメを思い浮かべると思う。ワタシもその口かもしれない。でも、本家フランスとしては、これはやはり黙っちゃいられないところであろう。というわけで、レア・セドゥのベルにヴァンサン・カッセルの野獣で、仏独合作で2014年に制作された「美女と野獣」がどんな感じなのか、鑑賞してみた。
ディズニー・アニメの「美女と野獣」が、この物語の映像化作品では一般への認知度が最も高い事は間違いないが、映画ファンにとっては本家フランスで、かのジャン・コクトーが監督したモノクロの美しい1946年版「美女と野獣」が筆頭に上がるのではなかろうかと思う。
これはワタシも、ジャン・マレエのファンだった父の誇大宣伝を受けて、NHKの洋画枠で放映されたものを10代の頃に観た。ベルを演じている女優が文字通り美しかったこと、そして、最後の最後に野獣から美しい青年の姿になったジャン・マレエがすらりとした王子様ルックで現れ、優美なお辞儀をするシーンにカタルシスを感じた事を思い出す。


5時間かかったというジャン・マレエの野獣メイク

で、今回の2014年版の「美女と野獣」であるが、配役的には従来の路線を打ち破ろう、という意図なのだろう。一般的な美女の概念からすると、美女?って感じのレア・セドゥがベル(美女)である。野獣/王子には王子というには少々薹が立っている観もあるラクダ顔のヴァンサン・カッセル。しかしワタシは、何を隠そう、この顔合わせに興味が湧いたので、最新版「美女と野獣」を観てみたのである。


ベルですけど、何か?

結果、レア・セドゥのベルは正解だったと思う。顔立ちは美女というには些かう〜む、な感じではあるけれども、ほっそりとして姿が良く、ブロンドの巻き毛があれば、若い女優はそれだけでも華やかになるし、レア・セドゥには演技力もあるのでちゃんと役にハマって見えた。

で、野獣ヴァンサンはどうかというと…。野獣メイクでいる方が魅力があった、という感じであろうか。何しろ素顔はラクダ顔なので、野獣から人間の王子に戻ったところのインパクトが限りなく薄いのだ。野獣でいた方が、まだ雄々しくて憂いがあって良かったじゃないの、という感じ。この役にはヴァンサンはミスキャストではなかろうかと思われた。彼の良さを活かせるキャラではないような気がする。


獣でいた方が良かったような…

今回、最もマズいのは、父親の代わりに野獣の城に捕われたベルの夜毎の夢に、昔の人間時代の姿が割に早くから現れてしまう事だ。これでは、いかにラストで野獣がヴァンサンに戻ると分かって観ていても、興味索然である。王子の姿は最後の最後まで伏せられなければならないのだ。途中で出て来てしまってはスペクタクルもカタルシスもない。いかに、これまで作られて来た「美女と野獣」とは些か異なる趣のものを作ろうと思っていたからといっても、ここは外してはならない定石だと思う。


ラクダ顔だとぉ?!

王子役をぺらぺらして若くて綺麗なだけの俳優が演じれば良かったとは思わないけれども、ヴァンサンがあまりにいつものヴァンサンのまま出て来てしまった事と、ベルの夢の中に、かなり早くから野獣の元の姿が現れてしまった事で、ラストの余韻が大きく損なわれた事は間違いない。
奇をてらうところは衒っても、ここは外してはならない、という部分はしっかりと定石通りに盛り上げるのが、こういう古典的な物語を映画化する上でのお約束ではないかと思う。
外してはならないところは、やはり、外してはならないのだ。

ただ、主演俳優がずっと特殊メイクの姿だけで出ていて、最後の最後まで顔がちゃんと出ない、というのは、本人にもファンにもキツい事ではあろうので、1946年のコクトー版では、マレエは一人二役で、別の青年(ヒールな役回り)の役でも登場し、最後まで全然顔が出ない、という状況を打破していた。
2014年版のヴァンサンはそういう搦め手を使わずに、真っ向から王子として早めに回想シーンで登場してしまったので、なんだかなぁ、という印象になってしまった。

しかし、それ以外の部分ではCGをフル活用しての森や城の描写、特殊効果、また色彩設計など、ハリウッドものとはひと味異なる、おフランス的センスを感じた。野獣メイクも、これまでに観た中で一番、魅力のあるご面相だったと思う。


ふふん

物語もオリジナルのヴィルヌーヴ版の原作をベースにしていたが、ところどころに今風のCG効果を利かせまくったシーンが入って、映画館の大画面で観られる事を意識した作りになっていたと思う。また、ハッピーエンドではあるものの、お城で末永く幸せに暮らしました、というラストではないところがささやかな新機軸だろうか。


色彩、配色がとても印象的な映画だった


余談だが、
王子が狩りの獲物として追い回している黄金の雌鹿が、湖の中州に立っている場面などは、どことなく「もののけ姫」を思い出したし、野獣王子が魔力で動かしていたのであろう、でいだらぼっちのような森の精の巨人たちは、ずしんずしんと動いてきて猪口才な人間どもを踏みつぶしたりする様子が、どことなく大魔神的な趣きがあった。
また、亡くなった王女(王子の妃)の墓が朽ちかけたバラに囲まれているシーンなどは、美しかったと思う。ベルの夢に現れ、水鏡を通して見えるこの回想シーンは、王子の顔をハッキリと出さないようにしておけば良かったのにと残念な気がした。


バラに囲まれた石の柩

そんなわけで、ところどころ、CGによる効果を加え、また、色彩の美しさや配色のセンスなどは、さすがフランスという部分が随所に観られた作品ではあったけれども、結局のところ、この先どこの国でどんなものが何本作られようとも、究極の「美女と野獣」は、やはり1946年のコクトー版にとどめを刺すのだな、と思う。




古典的だが遺憾なく美しいジョゼット・ディのベル


甦ったあとの優雅なお辞儀がザ・王子な、ジャン・マレエの野獣/王子

モノクロの画面は不思議な艶を放って妖しく、ベルは申し分なく美しく、野獣から王子への変貌は、ある極から一方の極への飛躍的大変身である。それをジャン・コクトーの感性が演出しているのだ。無敵である。この無敵の決定版を揺るがす作品が出て来てほしいものだと密かに思ったりするのだけど、今回もやはりコクトー版にアッサリと寄り切られた、という感じだった。CGがいかにテンコ盛りでも、部分的に美しいシーンがあっても、あのモノクロ画面の美しさと全体の構成、演出、そして適材適所の俳優達には勝てないのだ。コクトーお得意の、生身の人間に彫像を演じさせるという手法が随所に入って効果を上げている。CGなど使わなくても魔法の城のありようがシュールかつマジカルに伝わって来る。

それに、やっぱりねぇ。一度は息絶えた野獣が美しい王子になって甦り、すらりと立ち上がるシーンは「美女と野獣」の醍醐味である。間抜けな顔で水の中に浮いているままなのはいただけまい。

コメント

  • 2015/08/25 (Tue) 18:25
    初コメ失礼します。

    こんにちは。
    ヒゲハゲ観察者のタカハシと申します。よろしくお見知り置きください。
    少し前から覗いておりました。007シリーズが好きなものですから。新作にレア・セドゥが出ていると知り、とても期待しています。

    私もこのフランス版「美女と野獣」を観て一番の感想は「野獣の方が素敵だったから王子に戻らなくていいのに」でした。
    でもそれより何より、パニック映画の苦手な私は、結構アクション巨人パニック作品(世界はそんなに残酷じゃなかったげど)テイストだったので、それにビックリしてしまってロマンチックな恋物語がぜ〜んぶ吹っ飛んでしまったことです。

    私がレア・セドゥを最初に観たのは「マリー・アントワネットに別れを告げて」でした。なかなか良い作品ですので、未見であれば是非おすすめです。

  • 2015/08/26 (Wed) 22:46

    ケフコタカハシさん こんばんは。
    ヒゲハゲを観察なさってるんですね。なかなか奇特なご趣味ですね。(笑)
    007シリーズが好きで、ヒゲハゲが好きというと、初代のボンドが大好き、という感じでしょうか。
    007最新作にレア・セドゥが出ているようですね。慰めの報酬のジェマ・アタートンみたいなノリで使われているのかな、という感じがしてますが、どうでしょうね。

    この「美女と野獣」、部分的に新機軸を出そうと思ったらしく、あのパニック巨人のシーンなどもその現れという感じですが、さほど気になりませんでした。ワタシ的には、王子キャラじゃないヴァンサンを、どう王子として綺羅綺羅しく見せるのかと思っていたら、あまりにそのまんまなので拍子抜けしちゃいました。

    「マリー・アントワネットに別れを告げて」は未見ですね。機会があったら観てみます。

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