三船敏郎の復権



来年(2016年)、ハリウッドのウォーク・オブ・フェイムに三船敏郎の名が刻まれる事に決まったのは、ご承知の通りである。ご同慶の至りではあるけれども、今頃なの?という気分もある。彼より前に、あの舗道に名が刻まれた日本人は、早川雪洲とマコ岩松(主にアメリカで活躍した日系人俳優)だけらしい。とはいえ、マコ岩松より先に三船敏郎が選ばれていても良かったろうとは思う。ちょっと遅いという気もするけれど、無論、選ばれないよりはずっと良い。何よりも、このことにより、三船敏郎は日本が生んだ最高の”Acting Legend”であるということを、誰よりも日本人が強く認識することになるだろうからだ。今回、タイトルに「復権」と入れたけれども、三船敏郎は、海外ではずっと偉大な俳優として生前も亡くなってからも最大級にリスペクトされてきた。三船敏郎の素晴らしい業績、功績を、その晩年には不当なまでに過小評価するようになってしまっていたのは、他のどこでもなく、この日本だけなのだ。


三船敏郎が世界に出ていくたびに、日本人として恥ずかしくないように、日本人が誤解されないように、と常に胸を張って堂々と振舞ってきたことは、その綺羅星のごときフィルモグラフィと並ぶ、三船敏郎の偉大な功績である。それは国民栄誉賞にも値するし、彼の見事な仕事ぶりならば、文化勲章も当然授与されてしかるべきはずのものだったのだが、壮年期の三船を襲った2つの奇禍(敢えて奇禍と呼びたいと思う)により、彼の輝かしい名声は汚され、地に堕ちてしまった。あの愛人スキャンダルと三船プロの分裂騒ぎは、徹底的に国内での三船敏郎のイメージを損なった。それまでのイメージがあまりに良すぎた事も反動として強く作用したのだろうと思うが、日本という国の権力者やマスコミが、スキャンダル以降の三船敏郎に対して、彼が亡くなるまでも、亡くなってからも、その比類なき功績に対して冷淡だった事には、いまだに憤りを禁じ得ない。それが証拠に、つい最近まで三船を単独で扱った伝記が1冊も出ていなかったのである。あれだけの俳優について、黒澤と込みで、という形(「映画を愛した二人」)でしか書く人がいなかった、というのは本当に奇妙なことだと言わざるを得ない。昨年(2014年)、松田美智子(ノンフィクション作家:故松田優作の最初の妻)が三船を単独で扱った初めての評伝「サムライ 評伝三船敏郎」を出した。没後17年にして、初めての単独の伝記である。今年は、2016年に三船敏郎がハリウッド殿堂入りするというニュースもタイムリーにもたらされた上に、この伝記が呼び水になってか、すこし前にBS朝日の「昭和偉人伝」では2時間スペシャルで三船敏郎を特集していた。(この特集がベースにしたのは、大半、松田美智子が書いた評伝だったと思う)そして、今年、ベネツィア映画祭で上映された三船敏郎の伝記映画「Mifune: Last Samurai 」も好評だったとのこと。追い風である。



三船敏郎のような稀有な俳優が、いつまでも不当に貶められたままで終わるはずはない。その素晴らしい仕事と稀有な存在感は、数多くのフィルムの中に鮮やかに生き続けている。今年(2015年)は没後18年。ある程度の時が流れて、その輝かしいキャリアの中の蹉跌に目や耳が曇らされることなく、日本人が再び彼の仕事と業績をまっとうに評価できる時期が来たのかな、という気がする。日本において、三船敏郎が、その本来の輝きを取り戻し、不世出のスターとして復権する時期が、やっと来たのかもしれない、と。

生前の彼が最後に世界のミフネとして輝いたのは例のアメリカのTVドラマ「将軍 SHOGUN」(1980)の時で、それと前後して三船プロの分裂騒ぎと三船の離婚裁判騒動が立て続けに起きて、連日派手に報道され、三船敏郎はかつての神のような存在から、不当に貶められ、わざとのように過小評価されるようになってしまった気がする。そういう傾向(彼の功績をないがしろにするような扱い)は、死後もつい最近まで続いていたように思う。ワタシはほんの小さな子供の頃に、輝かしかったスキャンダル前の三船の時代を「男は黙ってサッポロビール」のCMで微かに記憶している世代である。それは三船プロの絶頂期であり、アラン・ドロンが三船プロ制作のダーバンCMに出演していた時代でもあった。…遠く遥かな、懐かしき70年代である。



その後、ワタシがハイティーンになる頃には、三船敏郎はスキャンダルによって名声が傷つけられ、「世界のミフネ」としての輝かしい存在感は過去に押しやられつつあった。しかし、ワタシはまさにその頃に「用心棒」をTV放映で観て、三船敏郎の俳優としての素晴らしさ、そのあまりのカッコよさに言葉にできないカタルシスを感じたのである。以来、ずっと三船敏郎のファンだ。だから、最晩年の彼の車椅子姿を報じた写真週刊誌の記事の、あまりに三船敏郎を嘲り、貶めた内容に憤りを感じたこともよく覚えている。その記事について、松田美智子も「サムライ 評伝三船敏郎」の中で「惨いものだった」と触れている。あれは実に心ない記事だったと思う。三船敏郎のように常に全力で仕事をし、映画のため、日本および日本人のイメージアップのために頑張ってきた人に対して、なんの恨みがあってあんな嘲った記事を書く必要があったのか、いまだに理解に苦しむ。その週刊誌に限らず、当時は三船敏郎に対してマスコミは全体にそんな風潮だったような気がする。「世界のミフネ」なんて、ナンボのもんだよ、というような空気感である。そんなわけで、長らく日本の三船敏郎ファンは、ずっと悔しい思いをしてきたのだ(少なくともワタシはずっと悔しかった)。海外では正当に評価され、大いにリスペクトされている三船敏郎が、彼の故国である日本では粗末な扱いを受けているなんて、一体どういうことだろう、と。

けれども、彼が成し遂げた素晴らしい仕事、獅子奮迅の努力で映画に取り組んだ成果は、すべて彼の出演した作品の中に残されている。一目瞭然。フィルムの中の三船敏郎を見れば、その素晴らしさは国境を越えて誰にでも伝わる。一度でも彼の代表作のどれかを見た人は、その輝かしい俳優としての才能と、日本人として世界に誇れる存在感と容姿について、感銘を受けずにはいられないだろう。そして何より、海外に熱烈なファンが多いことは、日本人に、三船敏郎という存在の偉大さを改めて認識させる大きな力になっていると思う。外国人に教えられて逆輸入のような形で受け入れる、というのは、日本人がお得意のパターンでもある。それに海外であれだけ偉大な俳優として尊敬されている三船敏郎を、日本人がさほど認識していない、などという事では文化的に貧困だと思われても致し方ない。



ワタシは松田美智子の書いた評伝も、BS朝日の「昭和偉人伝」も、非常に興味深く楽しんだが、前者の「サムライ 評伝三船敏郎」を読んだ時に強く感じたのは、常にあれだけ周囲に気を遣い、俳優としては完璧に準備を終えて仕事に臨んで大いなる成果を次々に残し、社長になってからは、率先して雑用までこなしながら大勢の人間を使ってプロダクションを経営した、謙虚で義理堅く、繊細な三船敏郎が、なぜ右腕と思っていた男に裏切られるという無念な事態に陥ってしまったのだろう、ということだ。常に周囲に一生懸命に配慮し、尽くしてきて、なぜあんな形で裏切られなければならなかったのか…。もっと踏んぞり返った嫌な奴が痛い目に遭うならわかるが、スタッフの隅々にまで思いやりを忘れなかったという三船敏郎が恨みを買った筈はないだろう。彼を裏切った男を衝き動かしたものは何だったのか…。すべての引き金は、あの愛人問題だったのだろうか…。

好事魔多しというけれど、それまでの三船敏郎は絶好調だったのである。スターの作ったプロダクションとしては、三船プロは最大級であり、最も成功したプロダクションだった。最盛期の規模や、所属の俳優たちに売れっ子が多かった事は本当に大したものだったと思う。撮影所など持たずに、一俳優として仕事を続けていれば、あんな憂き目にも遭わずに済んだだろうとは思うけれども、戦前に大連で大きな写真スタジオを経営していた父の姿が、ずっと三船の脳裏を去らなかったのだろう。戦後、軍隊から解放されて裸一貫からスタートした自分が一国一城の主になる…そしてオヤジが中途で手放した夢を実現する…そんな思いは彼のロマンを大いに掻き立てたのかもしれない。だが、父の写真館も手を広げすぎ、人を信用しすぎて、信じた人間に裏切られたという苦い歴史があった。気をつけなければ、と思っていたのに、結局父親と同じ苦い経験をしてしまった、と身近な人間に述懐していたという三船敏郎。
…教訓は生かされず、歴史は繰り返すのである。因果な事に。
それにしても、立て続けに、どうしてあんな超弩級の災難が彼を襲ったのだろうか。人生というのは怖いものだとつくづく思う。

BS朝日の「昭和偉人伝」では、三船がお気に入りで生涯愛用していたという、彼のトレードマークのようなクラシカルなMG-TDが、きちんと次男の武志さんのところに保管されていたのが、とても印象的だった。クラシカルな1952年型のMGは美しく手入れされ、カバーをかけられて倉庫に眠っていた。部品を取り寄せれば、まだ全然現役で動くらしい。素晴らしい。
用心棒の撮影時だろうか、三十郎姿の三船が撮影所内をMGで走る写真を何枚か見た事があるが、これがまた実にカッコイイ写真だった。ちょんまげとスポーツカーというのがなぜか全く違和感なくしっくりと似合っていた。三船敏郎だから似合ったのだろう。



三船は抜群に勘と運動神経のいい人で、なんでもすぐにプロ裸足にできるようになってしまう才能の持ち主だったが、特に乗馬(乗馬が上手かったのは映画を見ていてもわかる)と車の運転は本当に素晴らしく上手かったらしい。画面に映ったMGのシンプルなダッシュボードを見ていたら、これはよほど車の運転の上手い人じゃないと乗りこなせないだろうな、という感じがした。三船はうっとりするほど滑らかに車を運転したという。さもありなんという気がする。世田谷の三船プロにはもう1台の愛車、ロールスロイスも残っていたが、ワタシはMGがすぐにも走れるような美しい姿できちんと残されていた事が、なんだかとても嬉しかった。それは、三船敏郎のスピリットがそのままの形で残っているのを見るような思いだった。


きちんと手入れされ、息子さんが保管しているMG-TD

*****
没後18年。ついに国内でも再評価の波がやってきたように思える三船敏郎。彼ほどの人に対して再評価などというのは失礼千万なのだけれど、国内では彼の業績が素直に評価されず、あまり顧みられない、あるいは軽んじられるような時期があったのも事実である。今は、生前の彼を全く知らない若い世代が増えてきて、逆にまっさらな状態でその作品を見て衝撃を受け、ファンになる人もいるのだろうと思う。
本物は廃れないのだ。いっとき、なんらかの作用で輝きが曇らされる時があっても、本当の本物は、底から自ずと光が湧いてくるものなのである。隠しようもなく。



「昭和偉人伝」で、軍隊時代に後輩だったというご老人が若き三船上等兵の写真を見て「えぇ〜〜男やなぁ…」と感に堪えたように唸っていたが、俳優になる遥か前から、三船敏郎は本当に男前である。写真館の息子で写真を撮られるのに慣れていたのかもしれないが、とにかく一般人の頃から実物もいいが写真写りも滅法いい。三船敏郎は日本人ながら国際的に「美しい顔」で通用する、いい顔をしていると思う。眉も目も鼻も唇も、本当にいい形だ。正面だけでなく横顔も美しい。淀川長治も、美しい、美しいと絶賛していたけれども、本当にそうだと思う。そして、淀長さんはこうも言っていた。俳優の臭み(芸能人の発する空気)が最後まで無い人だった、と。それは気さくで偉ぶらず、付き人もつけず、スタッフの仕事も率先して手伝う三船敏郎のありようを表現した言葉なのだと思う。


戦争映画に出た時のスナップではなく、本当に軍隊に居た時の写真…男前である

三船敏郎は顔が素晴らしいだけではなく、胸板の厚い、筋肉質のいい体をしていて、それも日本人離れしていた。そのうえ、低くて渋い、いい声をしていて、セリフ覚えも完璧、繊細な内面演技もできるし、豪快な男を演じると地のように光った。運動神経も抜群でアクションも上手かった。どんな役にも、何事にも全力で取り組んだ。こんな俳優は他に居ない。少なくとも、日本にはもう出てこないだろう。俳優としてすごかっただけでなく、周囲の人に細やかに気を配る、気持ちの優しい人だったという三船敏郎。こんな男には、惚れずにはいられまい。

ドキュメンタリーとして出来がいいらしい伝記映画「Mifune: Last Samurai 」も見たいが、ワタシは彼の初の海外出演作である、メキシコ映画の「価値ある男」というのが一度見てみたいと思う。前から時折、見てみたいなぁと思ったりしているのだけど、なかなか機会がない。出来も悪くなさそうだし、スペイン語のセリフを懸命に丸暗記していって、メキシコ人の農夫を演じたという三船敏郎の、からっと明るいメキシコ人姿を是非一度見たいものだと思う。どこかで放映してくれないだろうか。是非、検討してみていただきたいと思う。

ワタシがこのブログを始めたのは9年前で、当初から三船敏郎は素晴らしい俳優だし、とにかく日本人として最高にハンサムだ、というような事を折に触れて書いてきた。今は、晩年の三船のイメージが薄らいで、映画で若い頃の三船しか見たことのない人が増えたせいか、彼がイケメンであることは割に定説になってきているが、9年前はそうではなかったと思う。しかし、この9年の間に三船敏郎はイケメンである、ということが当たり前に認識されてきているのは、すごく良いことだと思う。歳月がいろいろな汚れや曇りを洗い流して、価値ある人の、本来の輝きを取り戻させたのだろう。三船敏郎はイケメンなだけではなく、地道な努力を惜しまない、才能豊かで稀有な俳優だった。彼が映画俳優だったことは我々には幸いだった。だからこそ、彼の演技と姿は何年たってもフィルムの中に生きていて、後世の人間が鑑賞することができるのである。



三船敏郎のような素晴らしい俳優が日本人であったことは、ワタシ達の誇りである。彼のような俳優はまさしく文化遺産なのだ。そんな彼に、ワタシ達がささやかにでも何かしら恩返しができるとしたら、出演作品を1本でも多く見て、その素晴らしさを語り継いでいくことだけなのではなかろうか。それゆえに、ウォーク・オブ・フェイムに彼の名が刻まれることは、三船敏郎の映画をまだ見たことのない人が関心をもつキッカケになるであろうという観点からも、大きな意義があると思う。
何よりそれが、国内での三船敏郎の復権に寄与してくれるなら、三船ファンとしては、こんなに嬉しいことはない。
殿堂入りを寿いで、久々のMy favorite Starsは2回目の三船敏郎記事で、ワタシなりの感慨を表明してみた。

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コメント

  • 2015/11/02 (Mon) 11:29

    kikiさん、いつになく特に熱が籠った記事ですね。
    わたくしも観ました、BS昭和偉人伝~三船敏郎。
    いやあ、俳優業前の兵士姿、勇ましかったですね。
    なんだかそこに居るだけで、周りの人々も羨望と尊敬の眼差しだったとか。
    三船敏郎のプロダクションが子から孫にと家族経営で営まれていたのは初見でした。
    ですが、わたくしは宝の持ち腐れだなぁと思ったものです。
    確か愛車は長男?が経営されてる整備工場?の中に保管されてましたっけ?
    他にも世界のミフネが所有していた所縁の品々はもっと然るべきところにて一人でも多くの人々に見てもらいたいなぁと思ったり…。

    わたくしは彼の演技、特に静から動への人間離れしたスピードがととも好きです。
    それは世界のクロサワ映画で存分に発揮されていましたね。
    しかし、番組の中で誰だったかな…三船敏郎の知り合いの方がおっしゃっていたけど、クロサワ映画ではなく、稲垣浩監督の「無法松の一生」での太鼓を叩くシーンも何だかジーンとくるものがあり、好きです。
    彼は本当に稀有な役者でしたね。
    しかしながら、わたくしも彼のイメージは苦虫を噛み潰したような顔のデカイおじさんという印象ばかりが子供時代にあり、彼の痺れるような演技は成人してから知った次第です。(まあ、特に時代劇は顔が大きい方が良いが)
    今でもイギリスで買ったミフネの映画DVD(ロンドンのビデオCDショップでは彼のセクションまでありました。ミフネ棚。おそらく没後10周年だったか)がいくつか本棚にあります。
    英語を忘れそうな時に時々鑑賞してます。
    不世出の役者、ミフネの過小評価の原因は一体何なんでしょう。
    ふたつの奇禍が原因?
    海外筋もそれが影響した?
    マコ岩松って誰?

  • 2015/11/03 (Tue) 20:45

    sanctuaryさん
    そうですねぇ。敏ちゃんのこととなると、やはりどうしても書いていて熱がこもってきちゃうんですわ。愛ですよ、愛(笑)
    「昭和偉人伝」ご覧になりました? これまでずっと他の人ばかり特集していて、なんだろうなぁと思ってましたが、敏ちゃんは2時間スペシャルだったのでよしとしときますわ。
    彼の愛車のMGは次男の方のところに保管されてましたね。持ち腐れている宝の件ですが、三船プロを継いでいる長男の史郎さんは、いずれ記念館のようなものを作って、そこにゆかりの品々を展示するようにしたいんだそうですよ。期待しましょう。

    ワタシも稲垣浩の「無法松の一生」は好きですよ。阪妻版も三船版もそれぞれの良さがあって味わい深いです。

    「苦虫を噛み潰したような顔のデカイおじさん」ね。ははは。軍人を演じたり、TV時代劇にばかり出るようになった頃から、そんなイメージしかなくなったかもしれませんね。若い頃と違って、あのえもいわれぬ愛嬌が出なくなってしまったしね。でも、敏ちゃんは実際は顔は大きくないと思いますよ。時代劇でデカイ顔というのは、市川右太衛門とか片岡千恵蔵、北大路欣也、高橋秀樹、松方弘樹あたりかな。三船敏郎は、あまり背は高くないけど、体のバランスは割にいいと思います。イメージで顔が大きいように感じるだけではなかろうか、と。(笑)

    彼の日本での過小評価の原因は、なんといってもその壮年期を揺るがした2大スキャンダルですわね。海外の人にはそんなことは関係ないから全く影響はなかったですが、日本ではとてつもないダメージだったと思います。あれがなければ、どれだけ日本でだって三船敏郎は留保なしの輝かしい伝説でいられたか、誰からも尊敬される神のような存在でいられたか、と思うと、絶頂期に突如、人間を襲う落とし穴の底知れない深さと闇は怖いものだとつくづく思います。光が強ければ強いほど、そこにできる影も深く濃くなるんですわね…。ついつい気が緩む人生絶頂の時ほど気をつけないといけない、というサンプルかもしれませんね。

    マコ岩松というのは、日系アメリカ人の俳優です。(2006年に亡くなりました)一番有名な出演作はマックィーンの「砲艦サンパブロ」での水兵役なのかな。日本映画でも、篠田正浩の「梟の城」で秀吉役を演じてましたわ。

  • 2015/11/06 (Fri) 16:43

    先日、うんうんとコメントを投稿しようとしたら、消滅あんれまあ
    思いのたけは沢山ありますが、短めに(笑)
    椿三十郎を織田裕二で見ました。リメイクだとは思わなかった。で、ツタヤレンタルで『椿三十郎』三船敏郎で見直しました!
    モノクロなのに、椿の紅白が見えた!名は?と問われ、じっと椿をみて、「三十郎・・・いや四十郎か?」と、懐手で肩を揺する仕草。
    縁の下を這いつくばって逃げる姿。凄い俳優さんだと思った。

    >本物は廃れない。何らかの理由でその輝きが消されようと、必ず、自ずからその輝きを底から発するようになる・・・・・

    ありがとうございます、巡り合えて、知ることが出来て、当分、ツタヤ通いが続きそうです。BSで放映してくれないかしら?と願います。

    • ジェード・ランジェイ #-
    • URL
    • 編集
  • 2015/11/07 (Sat) 19:25

    kikiさん、敏ちゃん愛にあふれた記事、素晴らしい!kikiさんの愛を感じて胸が熱くなりました。
    2007年にフランスのリヨンという街に住み始め、日本語が恋しくなった頃に、住まいの近くにあった映画館で黒澤監督の没後10年を記念する作品上映会があるということを知り、初めて「七人の侍」を観に行ったのだったと思います。まあ、その面白かったこと、そして三船敏郎という俳優のなんと格好よかったことでしょう!!それからというもの、学校をサボってまでも上映会に通い詰めたものです(笑)。街中に菊千代のどアップのポスターが貼られており、何度その前で写真を撮ったことでしょう、こんな男前ですごい俳優が日本人であることがどんなに誇らしかったことでしょう。懐かしく当時のことを思い出しました。とはいえ、外国に居る身なため、敏ちゃんのことを語ったり、聞いたりすることも叶わず、ネットで敏ちゃんLOVEなkikiさんのブログの存在を知り、よく御邪魔したものでしたね。
    そんな訳でとても遅ればせながら敏ちゃんのことを知ったため、晩年のスキャンダルの報道の様子を実際には知らないわけですが、かなり酷い言われようだったのですね(悲)。そんなことで敏ちゃんの偉大さが損なわれることはこれっぽっちも無いけれど、そんな些末なことで長年にわたって過小評価されてきたということが敏ちゃんはどんな思いであったかと思うと泣けてきます。
    わたしは声を大にして、敏ちゃんのような俳優は唯一無二でぜひとも作品を観てほしいと心から言いたいです。そんなちっぽけなスキャンダルなんぞ塵ほども取るに足らないことですよね。
    敏ちゃんがわたしに50、60年代の日本映画を観るようになるきっかけを与えてくれたことも本当に嬉しいことでした。もしかしたら死ぬまで観ることもなかったかもしれない邦画の数々、観れてよかった。日本には素晴らしい文化があったのですよね。
    書きながら胸がいっぱいです。きっとkikiさんも迸る思いがおありでしょうね。わたしたち敏ちゃんLOVEですもんね!!

  • 2015/11/08 (Sun) 15:25

    ジェード・ランジェイ さん
    ワタシの記事がきっかけで三船敏郎の作品をあれこれと観るようになっていただけたんだったら、記事を書いた甲斐もあろうというものです。
    黒澤作品はNHK BSでの放送は比較的多いと思いますよ。適宜チェックしていれば、そのうち放映されるでしょう。ワタシとしては、「椿三十郎」より「用心棒」の方を強力推薦いたしまするが(笑)あと、「隠し砦の三悪人」もオススメです。

  • 2015/11/08 (Sun) 15:45

    ミナリコさん
    やっぱり敏ちゃんはワタシにとっては特別な存在なんでしょうね。何か、あれほどの人にしては晩年ちょっと…というところも含めて、どうしても判官贔屓のような感じになってしまいますわ。愛ですね、愛。ミナリコさんも改めて敏ちゃん愛が燃え上がってきているという感じですかしら。ふほほほ。

    リヨンの街角に、菊千代のポスターが出てましたか。いいですよね。異国の街で改めてその存在感に浸れるというのは。却ってストレートに良さが伝わってくるのかもしれませんわね。

    ワタシも離婚裁判の猛烈なスキャンダル報道の頃は子供だったので、あまりしかとは覚えていないんですが、親からは、当時こんな報道があったんだよ、と後で色々と教えて貰いました。記事にも書いている通り、ワタシがハイティーンの頃には、敏ちゃんは愛人と暮らしていて、バッシング報道で色々と書かれたせいで、なんとなく「世界のミフネ」と言われつつも、世間やマスコミはふふん、と嘲るような空気感になってしまっていたような感じがします。
    今でもまだ覚えているんだけど、寅さんシリーズに敏ちゃんがゲスト出演した時、正月映画の予告を映画館で流していて、その寅さん映画の予告が流れたんですね。そうしたら、前の席に座っていた初老の夫婦が感慨深そうに「ミフネもこんな映画に出るようになっちゃったんだねぇ…」「そうねぇ…ほんとにねぇ…」と小声で会話をしていたのがとても印象的でした。全盛期の敏ちゃんは寅さん映画にゲストで出るような俳優じゃなかったんですわね。

    まぁ、そんなわけで、60代以降の三船敏郎は色々と不本意な事も多い状況だったとは思うんですが、仕事には常に全力投球だった事は最晩年まで変わらなかったようです。つまらない蹉跌に曇らされず、彼の真価がきちんと日本で再評価されるようになってほしいとずっと思ってきたんですが、生々しい過去が風化して、三船敏郎の唯一無二の偉大さが、素直に日本人に浸透する時期が来たんじゃないかな、とワタシは思ってるんですよね。復権の時が来たんだと思います。

  • 2016/08/16 (Tue) 22:27
    凄く言いたいことを言ってくださってる、、!

    kikiさん、はじめまして。アリアと申します。昭和偉人伝、三船さんで探っていくとこちらが表示され、いろんな方が色んな熱いご意見を交わしているのを見て、思わず参加したい!という気持ちで書き込みました。BS朝日の特集を見たくて見たくて(三船さんがメインで見られることなんてあんまりないので)でもうちはBSに繋いでないので見れない状態なので、歯がゆいです。
    私は三船さんの死後にファンになった彼の生きていた時代をほとんど知らない世代の三船ファンです。それでも、若い頃の本当に静観でいい声で豪快ながら繊細な三船さんに心を奪われました。三船さんを知ってしまうと、今の若手俳優が本気で霞んで見えます(笑
    今は名画座かお墓参りでしか三船さんを感じられることもないのですが、来年で没後20年みたいなので、外地生まれだけど、日本の誇りを決して捨てなかった三船さんのこともっと知ってほしいですね。ハリウッドでも登録されるみたいなので、とてもうれしいです。
    なんか皆さんの熱気に当てられて書いてみました。
    三船さんを通じて、志村喬さん、黒澤監督、岡本喜八監督とか昔のことを触れる機会になってます。
    三船さんの真の評価が高まりますように。あと、ちょっと忘れられがちなドキュメンタリーも日本で公開されますように、、!

  • 2016/08/17 (Wed) 09:02
    Re: 凄く言いたいことを言ってくださってる、、!

    アリアさん はじめまして。
    熱をこめて三船愛を語る会?にご参加いただいてありがとうございます(笑)
    BS朝日の「昭和偉人伝」ご覧になれなかったんですね。残念ですね…すごくいい特集でした。何かでご覧になる機会があるとよいのですが…。
    生前の三船敏郎をご存知ない世代でいらっしゃるんですね。でも、彼の映画を見たら絶対に惹きつけられますよね。むしろ、彼の晩年のスキャンダルについて余分な認識がない分、若い世代の人のほうが素直に三船敏郎の素晴らしさについて感じ取ることができるのではないかと思っています。
    彼に比べたらいまどきの俳優なんて、どれもこれも、なんだかなぁ…という人ばかりですわ(笑)
    そうですね。黒澤映画関連に限らず、三船敏郎を知ることで昔の日本映画全体に興味を持って、モノクロの昭和20年代からの映画を見る機会が増えると、昔の日本映画がいかに素晴らしい作品を世に送り出していたかが、はっきりとわかると思います。日本映画は時代が遡ればのぼるほどハイレベルです。今はやけに興行成績がよくなってはいるみたいですが、作品の質自体はどうもねぇ…という日本映画が多い気がします。
    三船敏郎のドキュメンタリー、見たいですよね。絶対に日本で公開してもらいたいと思うのですが、いつになるのかな…。この冬あたり期待したいですね。

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