斎宮の嘆き 原節子

-訃報に接して-



原節子がさる9月5日に亡くなっていたと、霜月も終わりに近づいて公けになった。
亡くなって数ヶ月経ってからそのことが公けになったというのが原節子らしいと思った。(最近は、渥美清や高倉健など、密葬も済み、暫くたってから訃報が流される有名俳優も多いけれど…)
昨年秋、確か同年の生まれだった李香蘭こと山口淑子が亡くなった時、遠くないいつか、原節子の訃報も聞くことになるんだろうな…と思ったのだったが、現実のことになった。

原節子というと、ワタシは、望みもしないのに、生きながらありがたそうに神殿に祀られてしまった人の悲哀のようなものを感じないわけにはいかない。
彼女の人生は望まないことの連続だったのではなかろうか。生家が経済的に豊かでなかったため、女学校を中途で辞めて女優になった。もしも貧しくなかったら、普通に女学校を出て勤め人になり、そのうちに結婚して、子供を産んで…というごく普通の女性の生き方をした人なのではないかと思う。しかし、彼女は運命か必然か、女優の道を歩まざるを得なくなった。そして目に立つ容貌と存在感であっという間にスターになり、あまつさえ神格化され、「永遠の処女」などというキャッチフレーズを奉られて、自らを祀る神殿の斎宮にされてしまった観がある。

斎宮:(さいぐう または いつきのみや)天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、代替りごとに選ばれ、都から伊勢に派遣された皇族の女性のこと

彼女の人生の中で最大の悲劇は、映画カメラマンをしていた実の兄が、映画監督であった義兄(二番目の姉の夫・熊谷久虎)がメガホンを取り、原節子が主演していた「白魚」という映画の撮影中に痛ましい事故で亡くなった事であろう。
列車を正面から撮るために線路上で待機していた兄は、打ち合わせミスで停止位置で止まらなかった列車に轢かれて亡くなってしまった。この映画は義兄・熊谷久虎が久々にメガホンを取った作品であり、原節子も、兄の会田カメラマンもそれに協力していたのだと思うが、思わぬ悲劇に見舞われた作品になってしまった。「白魚」は一応、完成はしたものの、興行成績も芳しくなく、熊谷久虎は以降、表舞台から姿を消す。

内気な彼女は、それまでもずっと、できれば早く女優を辞めたいと思いながら働いていたのであろうが、実兄の不慮の死によって、その遺族を援助するために、引退を自分の心づもりよりも数年先延ばししなくてはならなくなったのだろうと言われている。その通りなのだろうと思う。



望まない女優になったのも、早く引退したいと思いながら40を過ぎるまで引退できなかったのも、一族への奉仕のため、という側面が強かった事は事実なのだろう。そして、女優として大成功したものの、美貌と独身が災いして神格化され、マスコミやファンから崇め奉られる存在になってしまった。生身の女性が、生きながら神に祭り上げられてしまうのは、さぞやしんどい事だったのではないかと思う。生身の彼女の叫びや涙は、すべて「原節子」という「聖処女」の神話と伝説の向こうに封印されてしまったかのようである。

原節子をめぐる最大の謎は、なぜずっと独身だったのか、ということであろう。 
ワタシが思うに、それは戦争中に適齢期を迎えた世代だったという事も大きかっただろうし、単に、原節子に見合うような男性が居なかったから、という事に尽きるのかもしれない。
原節子というと、小津との間に恋愛関係があったのではないか、と昔から囁かれてきたが、そうではなかった、という説が昨今は有力である。小津にはずっと付き合っていた愛人が居たし、原節子の方はどういう感情で接していたのか分からないけれども、恋愛感情というよりも師匠に対する尊敬の念のようなものを抱いていたのかもしれない。

原節子とても、望んで独身でいたわけではないのだろうが、結局のところ、どうしても「これだ!」と思う相手が現れなかったので結婚しなかった、というのが真相に近いのではないかとワタシは勝手に思っている。
生涯の独身は、小津安二郎のためではないだろう。



ちなみに、原節子と三船敏郎は何度か共演しているが、原節子の伝記にピックアップされていた昔の映画雑誌のインタビュー記事によれば、三船が最初に映画界に入ってきた時、原はその外見や雰囲気を好ましいと思ったけれども、外見と実際の性格のギャップ(細かい事が気になる、豪快でない性格)にすぐに興味を失ってしまったらしい(笑)三船敏郎がイメージ通りに無骨で豪快な男らしさを持っていたら、あるいは原節子も恋愛感情が芽生えたのかもしれないが…。残念。



戦前はうら若い乙女だった原節子も、戦争が終わってみると中堅どころの年齢になり、戦前からの大スターという箔も付き、更には神殿の女神のように奉られて、周囲の男たちには、尊敬や憧れの対象ではあっても、生身の女として恋愛対象にされる存在ではなかったのではないか、と推察する。そんな不敬な事を原節子に対して考えてはならない、というような。

最盛期(昭和20年代半ば)の彼女は輝くばかりの美しさを放っているが、そのまばゆさが神聖さを帯びていたために、下世話な欲望の対象にならなかった、あるいはされなかったのではないだろうか。そんな気がするのである。
かくして彼女は、世間とマスコミが勝手に拵えた神殿の中に、斎宮として閉じ込められた。
そんな事は、望んでもいなかったのだろうに…。
そして、その神殿という名の檻から、彼女を強引に引っ張り出す男も現れなかった。
彼女自身が放っていた浮世離れた神々しさと内気さゆえに。



すべてはワタシの憶測だけれども、そんなに外れてもいないのではないか、という気がする。
彼女は、自らの神々しさのゆえに、お社に閉じ込められた斎宮(いつきのみや)のような気がしてならないのである。

実際は、彼女は割にさっぱりとした男らしい性格で、ビールが好きで、タバコも吸っていたし、立て膝をしてトランプなどに興じたりもする人だったらしい。が、それらは全て、気のおけない、ごく少数の友人たちの前でだけ見せる姿だったのだろう。
ワタシは、映画の中の、おしとやかでお上品な原節子よりも、そういう素顔の彼女の方に興味がある。

ともあれ、ある時期がくると、原節子は、かつて自らが演じた、天岩戸に籠もった天照大神のように、女優稼業を辞め、世間から隠れた。
長い余生を、マスコミと世間の目から隠れながら鎌倉に過ごし、そして、ひっそりとこの世を去った。
50年余の隠遁生活が、彼女に安らぎをもたらしたのかどうかは分からないけれども、ずっとやめたかった仕事を辞めて、引退から何十年が経とうとも彼女を追いまわす好奇の視線から逃れ続けながら、それでも、大半の時間を心安らかに過ごすことが出来たなら、せめてものことだったと思う。
長い隠遁生活を終えて旅立った今、ようやくにして彼女は全き自由を得て、あらゆる軛(くびき)から解放されたのかもしれない。


東銀座 東劇の入り口に貼られた写真 東劇の3階に献花台が設置された

長い間、大変にお疲れさまでした。
謹んでご冥福をお祈り致します。

コメント

  • 2015/11/27 (Fri) 04:19

    ちょうど訃報報道がなされた数日前から家族間で藤山一郎が歌う「青い山脈」を彼の歌い方を真似て愉快に歌うのが流行ってたんです。
    時々可笑しな替え歌にしながら。
    それがあっての原節子さんの訃報でしたから、同曲同名の映画にヒロインとして出てらっしゃった彼女のことがタイミング良く現れ、びっくりぽんでした。
    わたくしにとっての原節子は「美しさ」よりも「神々しさ」という印象の他、「鼻がデカ過ぎる」、「演技が硬い」、「他の女優より顔も身体もデカい」、「なんだか暗い影」とマイナスイメージが強かったです。
    観た映画は黒澤の「白痴」と、小津の映画に出ている原節子であり、そこからのイメージですが…。
    彼女はプライベートな話題があまりなかっただろうし、三船敏郎のように徹子の部屋や他のトークショーなどに出て生い立ちや日常生活についてマスコミに語るようなこともなく引退したので、作られた「神々しさ」だけが一人歩きしてますよね。
    きっと洋風菩薩顔のアノ容姿と体躯、そして彼女が障害独身、謎の隠遁生活を貫き通さなければ、原節子という大女優はあり得なかっただろうし、神々しさも神格化されることはなかっただろうとわたくしは思います。
    まあ、小津さんが彼女を見い出さなければもっと過小評価されてかもしれません。
    彼女には他の大女優が持ち合わせる世俗的な美しさや演技力、女性的な可愛らしさなどがない分、絶対神のような「威厳さ」や「御光が射したようなありがたさ」「存在の大きさ」などが備わっているように見え、だからこそそういった神々しい人間性が見せる人間臭い性格や仕草、ぎこちなさが逆に演技として新鮮にスクリーンに映ると小津さんは考えたのではないか?…と勝手ながら思うのです。
    40過ぎ、お世話になった小津さんの葬儀の日から映画界ならびに全ての表舞台から姿を消したあと、確か60代の時に一度だけプライベートの写真が激写されておりますね。
    確かにお顔や体躯は原節子。
    だが、服装(Tシャツとジャージ、つっかけサンダル風だったかな)、腹周りは太くなり、初老の兆しも出てきてるかつて(神々しさを武器にした)大女優の姿がそこにありました。
    日常生活の中の原節子はその時に初めて見たのだけれども、何故か違和感や嫌味がなかった。
    着飾って整形して若さに憂き身をやつすような世俗的でグロテスク化した女優たちのプライベートの姿とは違い、「神でも日常は地味なのよ。歳もとるのよ」的な、なんだか安心感のある雰囲気があった。
    それは彼女が臨んだ姿だったろうし、スクリーンで作られた処女性や神々しさをキープするのに充分な姿でした。これが逆に整形しまくりで、ド派手な暮らしぶりと身なりだったら人は幻滅するだろうけど、彼女はそうじゃなかった。
    そういえばビートたけしがバイクで事故った時に、確か原節子さんは入院先に見舞いに現れ、彼を励ましたらしい(だったかな?)話を当時知ったけれど、神も原節子も人生で滅多に会えないのに、なんてオイシイやつと思ったものです。

  • 2015/11/29 (Sun) 07:56

    sanctuaryさん

    藤山一郎の歌まねで「青い山脈」を歌うのが流行る、というのは面白いご家族ですね。何かそこだけ聞いていると、50年以上前の家庭のような感じがしますが、それが現在の話である、というのがミソですわね。
    ちょうどそんな時期に訃報が届いた、という事で、それは不思議なタイミングでしたね。

    確かに、原節子は鼻もお尻もデカすぎるし、体も昔の人にしては大きくてがっしりしているし、早くも昭和20年代も終わり頃になると、美しさよりも、何かあまりに立派すぎる容姿の「威容」のような部分だけが目立ってくる、という感じ(洋風菩薩って言い得て妙ですね)ではありますね。原節子は昭和18、9年から23、4年ごろが美貌のピークで、その頃のスチールや映画を見ると、さすがに「お〜!」と思うぐらいに綺麗ではあります。
    そして小津が例の紀子三部作に使わなければ、確かにここまでの不朽の名声というのは無かったかもしれませんね。所属していた東宝は松竹ほど上手く原節子を使う事が出来なかったわけです。でも、ワタシは小津の紀子三部作よりも、原節子が地味なサラリーマンの奥さんで生活に苦労する成瀬巳喜男の「めし」とかの方が映画としては好きだったりします。黒澤ものでは「白痴」よりも「わが青春に悔いなし」の方が好きかな。

    引退してから、原節子は何度か激写されてますね。庭で洗濯物を干しているところとか。老境に入ってからだけれど、ホットパンツを履いていた、というので話題になった気がします。

    たけしがバイクで事故った時に原節子が見舞いに現れた、というのは初耳です。マジですか?彼女がそんなところに行くとはちょっと信じがたいんですが…。報道カメラが群がってそうだしね。わざわざ行くなんてあり得ない気がしますが。しかも、たけしって…。

  • 2015/11/29 (Sun) 16:56

    >>たけしがバイクで事故った時に原節子が見舞いに現れた、というのは初耳です。マジですか?

    なんか事実がちょっと違うようで…
    原さんのお知り合いが尼さんで、その方の御守りかなんかを原さんが贈ったかなんかだったと思います。
    それで、たけしは原さんからの御守りを持ってると不思議と気持ちや痛みが和らいだとかなんとか…
    真相はわかりません。失礼致しました。

  • 2015/11/29 (Sun) 22:26

    なるほど〜。それなら、ありそうなお話ですね。
    納得です。わざわざすみませぬ〜。

  • 2016/09/29 (Thu) 10:36
    最大のスキャンダルは

    原節子の最大のスキャンダルは、「義兄で監督の熊谷久虎にやられてしまった」と言うものです。時期的には戦時中のことのようです。
    白坂依志夫の本に、死の直前の藤本真澄の言葉として書かれています。
    「俺も惚れていたのだが、右翼野郎にやられていると聞いて諦めたんだよ!」と。
    彼の死の直前の言葉ですから、多分本当でしょう。
    『白魚』での事故の後、約1か月後に『東京物語』に出たのですから、実に残酷な話です。この事故も、線路上に45度で鏡を置き、外から望遠レンズで撮影するば良かった愚かな事故だそうです。そうしたトリック撮影などできない、狂信的に熊谷久虎放っていたそうです。

    小津安二郎と原節子の噂も嘘で、あれは東宝と松竹の映画のヒットのための宣伝です。

  • 2016/10/03 (Mon) 01:28
    Re: 最大のスキャンダルは

    さすらい日乗さん

    熊谷久虎と何かあったであろうことは容易に察しがつきますし、この男は何か新興宗教の教祖のような影響力を発揮していたらしいので、原節子も彼女の姉も、魅入られていたような部分があるのかもしれませんね。

    小津安二郎との噂は単なる噂だというのは、もう定説だと思います。そんなもの真面目に信じている人はいないでしょう。

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