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「銘酒誕生物語 日本酒編」

-酒造りは自分探し 酒の香りとイケメンの蔵元と-
2008年〜 WOWOW



WOWOWのドキュメンタリーは面白い。昨年、主に映画や海外ドラマが目当てでWOWOWを再契約したのだけど、折々、ドキュメンタリーも楽しめるので、再契約は正解だった。それはそれとして、早く「ペニー・ドレッドフル」のシーズン2を放送してほしいのだけど。(遅いわよ、いつ放送するの?)
…とまぁ、WOWOWへの要望はさておき、今年のお正月に「銘酒誕生物語 日本酒編」の特別編として、2015年に創業400周年を迎えた、かの「十四代」の蔵元、高木酒造(山形)の特集放映に合わせて、過去の日本酒編9編の再放送があったので、すかさず録画し、味わい深く鑑賞した。


このシリーズが始まった2008年にはWOWOWを契約していなかったので、今年これを初めて見たワタクシ。特別編の放映+過去の9編(全部で10編)を全て鑑賞、録画することができてラッキーだった。日本酒を愛好する身としては、日本酒愛に溢れた内容と、折々「プロジェクトX」的な雰囲気をもって語られる各地の蔵元の苦難やそれを乗り越えての現在に至る道筋など、非常に興味深かった。
紹介された19蔵の銘酒のうち、飲んだ事のあるお酒は3分の1ぐらいだったので、次はあれを飲んでみよう、その次はあっちを試してみよう、などと楽しく胸算用しつつ、細部に徹底的にこだわり、神経を張り巡らせ、掌中の珠のように慈しんで一滴一滴を絞り出して送り出す各地の地酒の蔵元の姿に、すがしい感動を覚えた。

ワタシは、アルコールを美味しい食べ物の友として、適度に嗜んでいるけれども、蒸留酒と醸造酒とどちらが好きかといえば、それはもう圧倒的に醸造酒の方が好きである。言い換えれば蒸留酒(ウイスキーやブランデー、焼酎など)はほとんど飲まない。
かたや醸造酒であるが、ワイン、日本酒、ビールと、どれも好きでほどほどに愛好しているが、中でも愛するのは日本酒である。あの香り、あの味わい…。美味しいものを食べながら、少しずつ好みの日本酒を口に含んでその芳醇な味わいを楽しむひとときは、健康で、美味しい食事とお酒を楽しむことのできる幸せを実感できるひとときである。そしてワタシは、日本酒こそは世界一美味しい酒だと、年々、確信を強めている。まさに、今田酒造の今田美穂さんが言うとおり、「酒が美味しいということは、生きる喜びである」と、美味しいものを食べつつ、美味しいお酒を飲んでいて強く感じる。



WOWOWの酒をめぐるドキュメンタリーでは、「聖地巡礼 リリー・フランキーの洋酒紀行 スコットランド・アイラ島編」も面白かったが、ワタシはウイスキーを嗜まないので、スコットランドの景色には興味を覚えたけれども、主役であるウイスキーに対しての関心度はいまひとつだった。
しかるに今回は、常日頃から適度に嗜んでいる日本酒の、各地の蔵元を紹介するドキュメンタリーなので、しっかりと録画して愛蔵版として保存することにした。主題に興味があることも大きいが、第一にはドキュメンタリーとして非常に出来が良かったこと、さらには、ピックアップされた全国の19の蔵元の中に、身綺麗で男前な人が4分の1近く居たこともオマケの要因といえるかもしれない。

全国の地酒の蔵元を代表するビッグスターといえば、あの「十四代」を生み出した日本酒業界の革命児、高木酒造の高木顕統(あきつな)氏であろうか。
ワタシは「十四代」が彗星のごとくデビューした頃(1995年あたりか)に民放で放送された、高木酒造のドキュメンタリーでこの人を初めて知った。昔のことなのでうろ覚えで、ずっとこの人が14代目なので、酒の名前が「十四代」なのだと思い込んでいたのだけど、14代目は顕統氏の父上で、彼は15代目なのだと今回改めて知った。



ちなみに「十四代」というのは、十三代、十四代、十五代と登録商標の申請を出したうち、「十四代」しか通らなかったのでそれが商標になったのであり、しかも、顕統氏の生み出した酒のために取られた商標ではなく、もっと昔に取得しておいた古酒のための商標だったらしい。意外な事実である。

そもそも、この「十四代」が成功するまで、蔵元の息子が自ら酒を作るなどということはあり得ない事だったとか。蔵元はできた酒を売るのみで、酒を作るのは長年の修行を積んだ杜氏という専門職であり、杜氏が蔵元に雇われて、蔵人(くらびと)を率いて酒を仕込むのが伝統だった。杜氏には長年の修行と経験と勘が必要とされ、蔵元は酒造りには関与しないのが普通だった。しかし近年、杜氏の後継者は払底し、現役杜氏は軒並み高齢化して引退していく中、地方の蔵元が酒造りを続けようと思ったら、蔵元の人間が自ら蔵に入って酒を造る以外になくなってきた。顕統氏は蔵元の息子が集うという東京農大醸造科を出て、高級食材店に就職し、充実した東京生活を送っていたが、杜氏の引退に伴い、父に呼び戻されて蔵を引き受けることになる。前代未聞だ、できるわけがない、という周囲の声の中、顕統氏は酒造りに挑み、杜氏なしで「十四代」を生み出す。彼の醸した酒はたちまち評判を呼び、年々歳々、伝説の酒になっていった。「十四代」は芳醇旨口、いわゆる甘口の酒である。「十四代」が登場した時期は、淡麗辛口の全盛時代だったので、久々の甘口は新鮮な味わいがあった事も追い風になった。その後も毎年、顕統氏は工夫を重ね、研鑽を積んで、「十四代」をグレードアップさせている。油断も慢心もせず、精進する。うまい酒を造るために一切の妥協を排する男、高木顕統。原料の米の研究も怠らない。心血を注いで酒を造る彼は、一作業を終えたあとの清掃も徹底させている。が、ドキュメンタリーを見ていてワタシが些か気になったのは、高木氏が原料の蒸し米をかき回す時に、左手の指に結婚指輪をはめたままだったこと、またわさわさと量の多い髪をそのままに帽子なども被っていなかったこと、である。あれほど様々な事に気をくばり、一切の妥協を許さない、と言われる人なのに…と少し面妖な気がしてしまった。

それはともかく、この人は蔵元が自ら酒を造るという現在の潮流を作り出し、近年の酒造りの手法を確立したパイオニアである事は間違いないし、鋭い才能と地道な努力の人であり、「十四代」が素晴らしい酒であることも確かである。この人が、蔵元の息子が気合を入れれば、立派に売れる酒を作ることができる、という道を指し示さなかったら、後継者難で途方に暮れて廃業する地酒の蔵元は後を絶たなかったにちがいない。



このドキュメンタリー・シリーズを見ていて面白く感じたのは、今、一線で頑張っている地酒の蔵元の後継者がみな、この高木氏でさえも、最初からゆるぎない確信を持って、実家の蔵を継いだわけではない、ということである。それどころか、実家の稼業など全く継ぐ気もなく、日本酒にも興味がなかった人が大半で、あちこちの蔵元が異口同音に最初は「帰る気はなかった」「興味がなかった」と語っていたのが面白かった。あるいは、いつかは帰って経営を引き継がなければならないとは思っているが、まだまだ先でも構わないだろう、という思いがあり、ましてや自ら蔵に入って酒作りをしようなどとは、当初は誰も考えなかった。親の方でも、(地方の蔵元というのは経営が厳しいこともあって)最初から何がなんでも継げ、というようなことを強く言わない傾向もあり、みな、大学を出してもらい、そのまま東京で就職したり、夢を追ったりして、家業はすっかり忘れて数年を過ごすのだが、実家の仕事と全く関係ないところに身を置いてそれなりに仕事をしていながら、ある時、何かがキッカケで、彼らは転機を迎えるのである。それなりに頑張ってきたけど、このままでいいのか、と心の中で自分探しを始めた時、ふと振り返ったら、そこに実家の蔵があった、ということでもあろうか。



経歴的に最もドラスティックだったのは、「喜久酔」の青島酒造(静岡)の蔵元、青島氏。大学を卒業後、金融マンになり、日本で数年仕事をしたあと、ニューヨークのウォール街でトレーダーとして働いていた。短時間に莫大な額の金が行き交う、高度に合理化された資本主義経済のど真ん中に居て、最初はやり甲斐も誇りも感じたが、ふと、この仕事は自分じゃなくても出来るじゃないか…と思い始めた青島氏。何かをゆっくりと共同作業で時間をかけて造り出したい、と思った時、そうだ、うちは造り酒屋だったんじゃないか!と家業を思い出した。32歳で金融マンをやめて故郷に帰り、実家の蔵を継ぐ。


また、「醸し人九平次」が看板の萬乗醸造(名古屋)の久野氏も面白い。この人が継いだ萬乗醸造は創業400年の老舗だが、彼が継ぐまでは名の通った銘柄もなく、蔵で作られる酒の9割は大手メーカーに納める下請けの酒だった。久野氏は、例によって実家を継ぐことなど露ほども念頭になく、大学入学を機に地元を離れて東京に出ると、じきに大学も行かなくなってしまい、バイトをしながらブラブラしているうちに、長身だったので誘われてモデルになった。モデルとして活動しながら俳優を目指して勉強をしている時、自分が一体どういう人間なのかを知らなければ、誰かを演じることはできないのだ、と思い当たる。そしてふと、自分のルーツである、実家の造り酒屋に思いが行く。ちょうどその頃、両親が体調を崩したこともあり、30歳で実家に戻る。



しかし、彼のように、ある時、意を決して実家に戻った後継者を待っているのは、実家の蔵の惨状だったりするのである。全国的に売れる看板銘柄を持たない地方の蔵は大手メーカーに追いまくられ、絶え間ない値引き合戦にさらされる。自分の蔵の酒は作れば作るほど赤字になってしまう上に、地元以外では売れない。地元でも値引きをしないと売れない。あるいは値引きをしても売れない。蔵を存続させるためには、大手メーカーの下請けという屈辱的な立場を受け入れ、大手メーカーの酒を作って納めて稼ぐしかない状況に追い込まれてしまう。自分の蔵に、それだけで商売ができるような看板銘柄がなければ(また、そういう銘柄を生み出せなければ)、大手の下請けをするか、廃業するしか道はないのである。



青島酒造には「喜久酔」という看板銘柄があり、ともかくもそれで商売をしていたが、萬乗醸造には、「萬乗」という自前の酒はあったものの、なかなか売れなかった。当初は営業で自前の酒を売ろうとした久野氏は、実家の酒のレベルを知り、これはもう売れる酒を作るしかないと、営業をやめて蔵に入る。大手の酒を下請けで作るのではなく、自分の顔で商売がしたい、という思いからだった。親友を巻き込み、杜氏について3年間修行をし、杜氏が引退したあとは、親友と二人で試行錯誤しながら酒を醸す。そうして誕生した酒に、久野氏は「醸し人九平次」という名を付ける。この人は、日本酒をワインに負けない世界的な酒にしようと、単身パリに乗り込んで三ツ星レストランのリストに載せたり、10月1日の「日本酒の日」を浸透させようと銀座でデモをしたり、とにかく行動力が並でない。いかにも昔、トッポかったような風情でやんちゃな空気を残しているが、おっしゃることは極めて真っ当で、筋が通っている。そして熱い。そして何よりも重要なことは、彼が醸した「醸し人九平次」は、非常に美味しい酒である、ということである。青島酒造の「喜久酔」も美味しいし、好きな銘柄だが、この「醸し人九平次」もとても美味しい酒だ。この酒を世に送り出して間もない頃、先輩の蔵元に、「お前はなぜ酒を造っているのか、どんな酒を造りたいのか」と問われて、明確に答えることができなかったという久野氏。しばらくは、それを見出すことが大命題で、かなり悩んで試行錯誤したと言う。そしてロマネコンティを試飲してみて、そこに方向性のヒントを見出した久野氏。何故日本酒を造っているのかと今、問われたら「日本酒の価値を上げるために、日本酒を造っている」と答えるという。カッコイイね。日本酒の価値は確実に上がってきてるとワタシは思いますよ。



この他、東北の大震災でかなりの被害を受けながらも、酒造りを継続し、”震災復興の酒”として看板銘柄「日高見」を醸し続ける宮城県石巻の平孝酒造、平井氏(男前!)、酒の仕込みの最中に事故で弟を亡くし、そのことで風評被害にも遭うという二重の苦難を乗り越えた秋田 福祿寿酒造の渡邉氏らを紹介した「東北・苦難復興の酒を訪ねて」や、古い種である八反草という米を使った「富久長」を醸す広島の女性杜氏、今田酒造の今田美穂さん、前出の「十四代」高木氏に心酔して自らも酒造りに没頭するようになった地方の酒蔵の息子たち(いわば高木チルドレン?)である、「東洋美人」の澄川酒造場(山口)澄川氏や、「獅子の里」の松浦酒造(石川)松浦氏なども(二人ともイケメン)印象深かった。また、ワイン酵母を使って日本酒を作った「三井の寿」の井上合名会社(福岡)井上氏の酵母研究のマニアックさや、「鳳凰美田」の小林酒造(栃木)と「而今」の木屋正酒造(三重)における「大吟醸の真髄」も面白かった。
まぁ、ここに書いてないものも全部面白かったのだけど(笑)

1回の特集で2つの蔵元を紹介し、その間に酒にまつわるトリビアを挟み込むなど構成もサービス満点。ナレーションを、実家が京都の造り酒屋である佐々木蔵之介が担当しているのもナイスな人選だった。
それぞれの蔵元のエピソードの締めくくりとして、自分の酒には、どんな食べ物が合うのかを蔵元に紹介してもらうという趣向も良かった。酒は、美味しいものを食べながら、その食べ物の味わいが口中に残っているうちに香りを楽しみつつ口に含み、ゆったりと味わうのが至福である。どの蔵元も、自分の蔵で醸した自信の酒と、その酒に合う料理を味わい、芯から満足したような微笑みを浮かべて幸せそうだった。



酒は一瞬たりとも気を抜けない、微生物が作り出す嗜好品だ。ひとつさじ加減を間違えたら、全く違う出来になってしまうのだろうし、いくら努力して知恵を絞っても理想とするところになかなか辿り着けない奥深い道でもある。しかし、各蔵元が、高く高く理想を掲げ、そこに向けて毎年、努力、精進していくからこそ、美味しい地酒は残っていくのであり、精魂こめて作り上げた清酒が、愛好家に支持され、鑑評会で高い評価を受け、酒販店や飲食店からたくさんの注文を受けたら、蔵元の喜びはいかばかりか想像に余りある。



最近は、脚のついたワイングラスのようなグラスで日本酒を飲んで欲しい、という蔵元が多いんだな、とこの特集を見ていて感じた。また、燗酒にはあまり質の良くない酒を用いる、という定説を覆して、お燗を推奨する大吟醸、吟醸なども増えてきた。日本酒について回る、オヤジの酒、悪酔いする酒、という良くないイメージを払拭し、質のいい純米酒が持っている味わいの深さ、飲み心地の良さをもっと世間に浸透させたいと、各地の蔵元は切に願っていることがヒシヒシと伝わってきた。実際、日本酒を愛好する女性も増えてきているし、美味しい食事の友として、グラスの中でかすかに揺れて輝く香り高い日本酒は、この先、日本のみならず世界中で、もっと愛好されていくのだろうと思うし、そうあって欲しい。



日本酒は、日本各地で、酒米を原料に、その土地の水を使って醸される繊細で奥深い伝統文化なのである。
日本の誇るべき、この素晴らしい文化を繋いでいき、なお一層発展させるためにも、美味しく、楽しく、いろいろな地方のいろいろな銘柄の日本酒を、美味しい食事とともに、ゆったりと嗜んでいきたいものだ、と改めて思った。

コメント

  • 2016/02/12 (Fri) 01:17
    No title

    kikiさん、こんばんは。

    この20年来、wowowはちょっと暇ができたら付けて忙しくなると外すという契約・解除を繰り返してましたの。このシリーズの存在は知ってたものの今まで見たことがなかった(と思うんだけど)。ここでkikiさんの日本酒愛を読んだものだから、早速オンデマンドや再放送で見ています。
    ちょうど今の時期は地元でも寒仕込みのニュースがあったり、そうそう同級生の家もこの辺りでは有名な蔵元さんで、やっぱり時代の波に押されて存在感が薄れていたところを銀行に就職していた同級生が帰ってきて、酒蔵での結婚式やイベントを行ったり、女性向けにおしゃれなスパークリング日本酒を発売したりと経営を活性化し、今では地域のシンボル的な蔵元になっています。

    やはり、なんといっても日本酒はいいですね、まさに清いお酒です。私お酒に関しては珍しい経験をしてるの。もともとは飲める口だったのが二十歳前後からどういったわけが一滴も飲めなくなっちゃって。ところが30代の終わりにある手術(整形外科)を受けたところ、あ〜ら不思議、どんどん飲めるようになりまして。ワインにはまっていた頃など毎晩1本開けてましたね(バカ!)ある日ベランダ見るとワインの空ビンが山のようにうず高く積みあがってました(さらにバカ)。
    本来、強いお酒(蒸留酒)が好きみたいで、ラム酒、ジン、ウオトカ、ウイスキー等をショットグラスでクィっと煽って飲むのが好き。。。でした。今はさすがに寄る年波の為やってません(笑)

    中年過ぎてゆっくりしたら、ちょっとした酒の肴を用意して好きな器で晩酌しよう、と若いうちから、盃、お猪口、ぐい呑の類を集めていましたが、数十個集まったところで、あ、私飲めなかったんだと気がついてちょっぴり悲しくなってしまった。この頃は、高峰秀子や向田邦子のエッセイなどに影響を受けてたのね。

    と。長文すみません。このドキュメンタリーみて、kikiさんと同様「こんな素敵な日本の伝統文化があるのだから大切にしよう!」と思いました。これからは、すこしづつですが好きな酒器で楽しんでいきたいな。でも、なんといっても一番楽しまれているのは、このシリーズに出てくる蔵元の後継者たちでしょうね。お酒も人生も。没落の憂き目に遭ったりいろいろと大変だったでしょうが、それでも家に帰ったら「蔵があった」というのは羨ましいですね。ご先祖様から受け継ぐものがあるって、それはそれは重圧でしょうが、幸せなことでもありますよね。

    去年は、甥っ子の結婚式で「獺祭」が飲み放題でしたので、ワイングラスで美味しくいただきましたが慌ただしい席でしたので今一度ゆっくり楽しんでみたいと思っています。

    それからkikiさん、三井の寿は(福井)ではなく(福岡)ですよ⭐️

    • ジェーン #io8unDfk
    • URL
    • 編集
  • 2016/02/15 (Mon) 07:59

    ジェーンさん
    WOWOWは出たり入ったりがしやすくて、フレキシビリティが高いのがいいところじゃないかなと思います。
    ワタシも昔入っていて、しばらくやめていたのだけど、去年あたりからまた入って暫くそのままにしてあります。オンデマンドはけっこう便利ですわね。見逃した番組とかもチェックできるし、外でも見られるしね。

    ワタシも10年ぐらい前までは、日本酒好きではあったけど、ちょっと飲むとすぐに酔ってしまったり、体調が悪い時に飲んで二日酔いになったりして、暫く飲まなかったりしたのだけど、数年前からまた少しずつ楽しみ始めて、美味しい食事の友として適宜、楽しんでいます。ワタシは蒸留酒はダメなので、醸造酒のみですが、中でもビールと日本酒は好きですね。
    それにしても一滴も飲めなくなっていたと思ったら、手術後にガンガン飲めるようになったりするとは、人間の体というのは面白いもんですね。ともあれ、量はほどほどに。

    そうそう、三井の寿、福岡でしたね。失礼失礼。直しておきますわ。

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