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「ブリッジ ~国境に潜む闇」(THE BRIDGE)シーズン1、2

−国境の南 隣国という不可知−
2013、2014年 米  FX Productions他



オリジナルはスウェーデンとデンマーク合作の北欧ミステリードラマ「The Bridge」。欧米で大ヒットしたために、アメリカ版、英仏版など、各国バージョンが制作された。これは米国版。アメリカは北はカナダ、南はメキシコと国境を接しているが、カナダとの間にあまり闇は存在しなさそうなので(実は結構あるのかもしれないが…)、必然的に、色々ありそうな南側の国境のお話となる。
ヒロインの女刑事を演じているのはドイツ出身のダイアン・クルーガー。スリムな容姿が、埃っぽいメキシコ国境の風景を少しだけ涼しくしていた。



今年、Super!dramaTVでシーズン3が放映されているオリジナル北欧版の「The Bridge」。これのシーズン1が鳴り物入りで放映され始めた頃、ちょこっとだけ見ていたのだが、初回にあまり乗れなかった事と、他にチェックしているドラマがあれこれとあったので、何回か飛ばしたら話がわからなくなり、そのまま見なくなってしまった。今年、シーズン3が放映され始め、ビデオ・オンデマンドでたまたま1話から見たら案外面白かったので、シーズン1から改めて見たいと思ったが今のところ放映されていないし、ビデオ・オンデマンドにも入っていないため、見放題になっているアメリカ版を見てみることにしたのだった。これもFOXで放映が始まった時、ちょこっとだけ見たのだが、メキシコ国境の風景に、何か暑苦しいものを感じて鬱陶しくなり、見る気がしなくなってやめてしまったドラマだった。


とにかく風景はこんな感じで常に暑苦しくて埃っぽい

今回、シーズン1、シーズン2(2で終了)を全話観て、今更ながら、かなり面白いドラマであると認識した。結構面白かったのに、ドラマ系の賞に全然ノミネートもされなかったのは不思議である。(ゴールデン・グローブもエミーも毎年、同じドラマばかりがノミネートされすぎだと思う。顔ぶれが変わらなくて飽きてしまう)
シーズン2には「ラン・ローラ・ラン」のフランカ・ポテンテが不気味な女会計士役で登場。そのビョーキ女っぷりは強烈で、さすがの存在感を示している。埃っぽく、太陽ギラギラの暑苦しいメキシコ国境を背景に、追う側と追われる側で登場する二人のドイツ女優−ダイアン・クルーガーとフランカ・ポテンテ。…かなりレアな構図である。


ソニアは互いの根深いトラウマを通じてエレノアにシンパシーのようなものを感じたのか…

アメリカ版のヒロインであるソニア・クロス(ダイアン・クルーガー)は、オリジナルの北欧版の”マルメ県警サーガ・ノレーン”に比べると、かなり繊細でアスペルガー度も低い。北欧版が強烈なので、比べると「変人度」が低く見えてしまうのだろうが、アスペルガーとまで行かない感じ−−真面目で融通が利かず、対人関係が苦手で不器用なだけ、という風に見えた。オリジナルよりもかなりマイルドになっていた気がする。(何しろ、オリジナルのサーガは笑ってしまうぐらいに強烈なので(笑))


マルメ県警サーガ・ノレーン(左)とエルパソ市警ソニア・クロス

ダイアン・クルーガーのソニアは、傷ついた少女がそのまま大人になったが、傷は心の奥底で年々、深くなっていっている、という感じの脆い痛々しさが、有能な女刑事という表向きの姿の上に滲み出ていた。エル・パソ市警の女刑事というと、黒髪で肌もこんがり日焼けしている女性の方が雰囲気が出そうだが、ここにひんやりとした容姿のダイアン・クルーガーを配したのは、オリジナルの北欧版のムードを少し漂わせようとしたのかな、という意図を感じる。北欧ミステリーのヒロインの強烈なキャラをアメリカに持って行くと美人度がUPしてキャラも少しマイルドになる傾向がある(「ミレニアム」のリスベットにおけるオリジナル版のノオミ・ラパスと、アメリカ版のルーニー・マーラのように)が、「ブリッジ」も例外ではないようだ。

一方、国境を接する国の刑事として登場するのはレバノン系メキシコ人俳優のデミアン・ビチル。ソダーバーグの「チェ 28歳の革命」「チェ 39歳 別れの手紙」でカストロを演じたのもうなづける、口ひげの似合う風貌をしている。なんというか、今時珍しい男くさ系である。口ひげが似合うなんて、かなりアナクロっぽいけれども、そこがこの人の味。その風貌からは70年代のニオイがする。そういえば子供の頃は、海外の映画俳優でこういう感じのオジさん、いたよなぁ…なんて遠い目になってしまった。ビチル演じるマルコ・ルイスはヒゲのオッサンではあるが、けっこう繊細だし、家庭問題で悩んだり、妙にモテて女難気味だったりもする。ヘタにモテる事が災いの元であったりする。
自らも様々な矛盾を抱え、世の中は白か黒かだけでは割り切れないのだというルイスと、白か黒かの世界観しかないアメリカ側のソニアとは、当初は全く噛み合わないが、次々に起こる猟奇殺人を追っていくうちに、信頼関係も生まれてくる。



オリジナルの北欧版を1話目しか見ていないので、全体のストーリーラインが同じなのかどうか分からないのだが、1話目の設定は同じだったと思う。2つの国の国境をまたぐ橋の上で発見された女性の遺体は上半身と下半身が別の人間のもので、片方がアメリカ人、片方がメキシコ人だったことから、双方の国の国境の町の刑事たちは協力して捜査にあたることになる。が、彼らは捜査が進むにつれて、2カ国間には埋めようもない格差があり、溝があり、闇が横たわっていることを否応なく痛感する。…というわけで、どちらかというと、主にメキシコ側の深い闇について語られている感じなのだが、見ていると、メキシコはいまだにこんなに貧しいのだろうか、そして、こんなにも警官の汚職が公然とまかり通っているのだろうか、と唖然とする。場所にもよるのだろうけれども、これを見ていると「メキシコは度し難く、貧しく、怖い、この世の果てである」という印象が濃くインプットされる。ついでに「暑くて埃っぽい」というのも加わる。

次々に人が無残に殺されていく中、それらが同一犯による犯行である事が分かってくる。おそるべき連続殺人犯を追うソニアとマルコだが、ついに実行犯を捕まえたその先に、すべての事件の糸を引いていた意外な真犯人が隠れていた…というのがシーズン1。動機は真犯人のマルコへの根深い恨み−−「コノウラミ、ハラサデ、オクベキカ」な世界であることに、再び唖然とする。前半の連続殺人と終盤の真犯人の存在と動機が、なにやら上手くかみ合っていない印象を受けた。この辺は是非、オリジナルの北欧版を見て、比べてみたいものだと思う。



なお、ダイアン・クルーガー演じる女刑事ソニア・クロスの上司である警部補を演じていた初老の俳優が、なかなかいい味だなぁと思い、名前をチェックしたらテッド・レヴィンという名だった。かすかに聞いた事があるような…と思ってフィルモグラフィを見ていたら、なんと「羊たちの沈黙」でバッファロー・ビルを演じていた俳優だった。…そうか、あの人だったのか。確かに、よく見ればあの顔である。「羊たちの沈黙」はレクター博士とクラリスの存在感があまりにも強烈で、犯人役も不気味ですごく上手かったのに、二人が放つ強い光にバッファロービルはかき消されてしまった観があった。あれ以降お見かけしないけど、どうしたのだろう、などと思っていたら、ずっとそれなりにTVや映画で活躍しておられたようで何よりだった。しかも、若い頃はあんなに不気味な感じだったのに、年配になってからは、苦労人の面倒見のいいオッサンというような風情を醸し出し、このドラマでもいい感じのポジションで味を出していたと思う。メインキャラの一人として、芝居のしどころも結構あり、しっかりと目立ってもいた。その健在な様子を見て、なぜだか少しほっとした。


ヒロインの父親的な上司を演じるテッド・レヴィン

「羊たちの沈黙」のバッファロー・ビル

そんなわけで、シーズン1は面白くはあったけれども、何か釈然としないものも残ったアメリカ版「ブリッジ」だが、シーズン2は引っかかりなく楽しめた。シーズン2に登場するキーパーソンは、ヒロインのダイアン・クルーガー同様、ドイツ出身の女優フランカ・ポテンテ。「ラン・ローラ・ラン」よりも「ボーン」シリーズにボーンの彼女役で出ていたという方が通りがいいだろうか。だが、「ブリッジ」のフランカ・ポテンテは不気味の一言。随分おばさんになって、微妙に肉が付いたなぁ、という感じだったが、そう見せるのも役作りのうちだったのかもしれない。ポテンテ演じるエレノア・ナハトは、常に車の後部座席に座り、不気味な鼻歌を歌っている。(ちなみにナハト"Nacht"というのはドイツ語で「夜」という意味である。ドイツ系メキシコ人という設定なのだろうか)



鼻歌というのは、本来は浮かれていてハッピーなものであるのだろうけれども、縁もゆかりもない人が、鼻歌など歌うべきでもない場所で鼻歌を歌っているのを聞かされるのは不気味の一言に尽きる。鼻歌は「白昼の狂気」という感じで、なぜだか怖いのである。
それがよくわかったのは、この前、駅のエレベーターに乗った時、数人の乗客の中に一人イヤホンで音楽を聴いている女性がいて、彼女がイヤホンから外に漏れている曲とあまり関係なさそうなメロディをふんふんとハミングし始めたのだ。周囲に何人の人がいようともたやすく自分だけの世界に入ってしまえる人間て居るのだな、と思ったのだが、エレベータのドアがぷしゅっと閉じると中はしんと無音でわずかな音でも響きやすい。そんな中でふんふんふん、るるるー、る〜!などと鼻歌を歌う女性が一人混じっているのはかなり異様で、何か怖いものも感じた。この感じは何かで見たな、と思い、「ブリッジ」のフランカ・ポテンテを思い出したのだった。時ならぬ鼻歌はかなり怖い。しかも、本人が他人に不気味な印象を与えることを承知で面白がってやっているような場合は、尚更に不気味である。

で、フランカ・ポテンテであるが、彼女が演じていたエレノア・ナハトは、悲惨な過去のトラウマを抱えつつも、なんとか生き延び、メキシコのギャングで麻薬王であるファウスト・ガルバンの会計係をしている女である。常に襟をきっちりと閉じた服を着て、非常に地味であるが、脱ぐと全身に刺青が入っている。無論、ただの会計係ではなく、軽々と殺人もやってのける。強い抑圧を感じさせるこの女をフランカ・ポテンテはとても不気味かつ時折哀れも感じさせたりして、印象深く演じていた。

トラウマといえば、ヒロインの女刑事ソニアも根深いトラウマに囚われた女である。少女時代に、姉がレイプされて殺された事件に直面した彼女は、逮捕時に警察に頭を撃たれて脳の機能が阻害され、幼児状態になった犯人と面会を続ける。3歳児程度の知能しかなくなった犯人は、クレヨンで無心にソニアの絵を描く。彼女はそれを持って帰って部屋の壁に貼る。…奇妙極まる関係である。幼児状態になった犯人は、死んだ姉と彼女を結ぶ唯一の紐帯にでもなったのであろうか。姉をレイプして殺した犯人が脳を撃たれて退行現象を起こしたことで、彼女の中に不思議な愛情が生まれたのであろうか。いずれにしても典型的なストックホルム症候群という感じではある。やがて犯人が発作を起こして死ぬと、彼女は身内を亡くしたように激しく嘆き悲しむ。人間というのは不可解な生き物だ。



その他、アメリカとメキシコの国境を挟んでそれぞれのドラマを展開する脇の群像もきちんと描かれていたし、どんよりと淀んだ人間の醜い欲望やおぞましい秘密などを描いているこのドラマで、メキシコの美しい娼婦を苦界から救い出そうと奮闘したアメリカ人の男性とその娼婦が最終的に結ばれるシーンなどは、ささやかなハッピーエンドで少しほんわりとする。



全体には苦くアイロニックな視点がわさびのように効いていて、メキシコの警察の腐敗や、それを上回るCIAの汚れっぷりなど、2カ国間にまたがる様々な闇を描いていたこのドラマ。人間の怖さ、人間のおぞましさ、人間の物悲しさ、人間の弱さをこれでもかと描きつつ、それでも何かを信じたり、誰かを愛することをやめない人間というものも浮き彫りになる。この「ブリッジ」のアメリカ版は、あの「HOMELAND」の脚本家の一人であるメレディス・ストームがメインで脚本を手がけているので、どこか持ち味に似た雰囲気がある。見る者を次へ次へとぐいぐい引っ張るストーリー展開なども、そういえば近いものがある。

このドラマの唯一の瑕瑾といえば、メキシコ側の暗黒街のボスで、シーズン1、シーズン2ともに存在感の大きなファウスト・ガルバン役を、そこいらのトラックの運ちゃんみたいな俳優が演じていて、そんなに影響力のある大ボスには全く見えなかったことである。なんであんな八百屋のおっさんみたいな俳優をボス役に使ったのだろうか。ファウストなんて名前のボスの役だのに…。


こんなトボけたオッサンが暗黒街の大ボスだとは…

といささか疑問は残るものの、本家の「The Bridge」が見たいと思いつつ、ビデオ・オンデマンドに入っていなかったので、たまたまシーズン1、シーズン2ともに見放題だったアメリカ版の「ブリッジ」を観てみたら、意外にも面白く、得をした気分になった。国境を接する2つの国のあいだというのは、様々な感情や複雑な状況がごった煮のようにからまりあい、混ざり合って、ぐつぐつと発酵する場所なので、いくらでもドラマは作れそうである。
「ブリッジ」の英仏版はドーバー海峡の海底トンネルが2カ国をつなぐ中間地帯となるので、その名も「トンネル」というドラマになっているとか。この英仏版はまだお目にかかる機会がないが、出来はどうなんだろうか。

日本でこのドラマを翻案しようとすると、一番近くの、いついつまでも恨み節の、あの鬱陶しい半島との間のあれやこれやになるのだろうか。トンネルも橋もないから、「連絡船」って感じ? う〜むむむ。考えるだにゲンナリ。なんだかドロドロしそうなので、誰もそんなもの企画しないでほしいと切に思う。

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