「悲しみよこんにちは」(BONJOUR TRISTESSE)

~父を名前で呼ぶ娘~


1957年 英・米 オットー・プレミンジャー監督

初夏ごろにサガンの伝記映画が封切りになるみたいなのでちっと楽しみにしているのだけど、劇場に行くと出くわすその予告編をみているうちに、なんとなく久々に「悲しみよこんにちは」が見たくなってしまった。ジーン・セバーグの魅力を堪能するならゴダールの「勝手にしやがれ」の方がより趣深く味わえるとは思うのだけど、今回はサガンにちなんで「悲しみよこんにちは」。

ジーン・セバーグは1950年代末がピークの女優なので実はかなり古い人なのだが、古いという感じが全くしない。その古びなさ加減はさすがに永遠のアイコン。いかに時代が進んでも時の流れに追い越されない新鮮さを保つ人というのが稀にいるけれど、(J・ディーンなど)このジーン・セバーグもそういう種族だと思う。のちの時代にファッションの規範にされることはあっても、時の波間に埋もれてしまう事はないのだ。



モノクロでスタートし、回想シーンはリビエラの陽光さんさんのカラーになり、また現在のモノクロに戻るという構成で、あの夏を経て人生の苦さを知ってしまったセシールにほろにがくまつわる主題歌「BONJOUR TRISTESSE」はナイトクラブのシーンでジュリエット・グレコが歌う。ジュリエット・グレコはサン・ジェルマン・デュ・プレのミューズというムードが横溢。かったるそうに憂わしい歌を歌って非常に絵になる人だ。この歌を聴きながらセシールは二度と戻らない陽光の夏、今日も明日も脳天気に、波風なく地堕落に陽が昇ると思っていた日々と、その頂点で彼女の人生にさした消えない翳、消せぬ過去について思いを馳せる。

というわけで、モノクロで登場するジーン・セバーグだが、いま、彼女が新人として登場してもセンセーションを起こすに違いないと思う。
彼女のベリー・ショートのヘアスタイルはこの映画にちなんでセシール・カットと呼ばれるようになるが、彼女を特別な存在にしたのは疑いもなくこのヘアスタイルの力が大きかったと思う。ショートヘアでなかったら、小柄で均整がとれて顔もキュートに整った彼女は魅力的な女子ではあったろうが、「美しいけれど平凡な娘」という印象だったかもしれない。ショートヘアというのは、似合えばもっとも安易に特別な存在としての輝きを放つことのできるヘアスタイルだ。但し、格別に似合えば、のお話。セシール・カットほどそのヘアの下の顔を選ぶスタイルもまた無いだろうと思われる。



登場した最初から垢抜けのした、ある種完成した姿で現れるジーン・セバーグ。彼女はアイオワの女子大生だった。彼女の当り役はおフランスと縁が深いが、だからというわけでもないけれどアイオワ出身というニオイは皆無。発音がとてもきれいでエレガントな英語を話す。この映画には父レイモン(デヴィッド・ニーヴン)の愛人役でミレーヌ・ドモンジョが出ている。このドモンジョがいかにも50年代末から60年代の雰囲気なのと対比すると、ジーン・セバーグの時代を超越したルックスは選ばれた人の輝きだなぁと思う。だが、彼女は悲劇に愛されてしまった。当り役となるとこれと「勝手にしやがれ」のみ。プライムも短いが人生も短かった。スターダムに上って幾らもしないうちに、ブラックパンサーのシンパだとしてFBIに睨まれ、陰に陽にあらぬ疑いをかけられて神経が参り、40歳で自殺してしまった。そんな彼女の実人生の光と影を踏まえてみると、なおさらにリビエラの陽光の中で気儘に明るい笑顔を見せるセシールと、自ら引き起こしたと言える悲劇の後、ナイトクラブで翳のある表情を浮かべ、なげやりな仕草を見せるセシールの対比や変化が殊更に印象深い。ワタシはというと、言う間でもなく翳を帯びたモノクロームのシーンの彼女が好きだ。


真ん中がドモンジョ ボヤっとした雰囲気

17歳のセシールはリッチで気儘で女性が大好きな父レイモン(ニーヴン)と気儘な日々を送っている。娘は父の女道楽に目を瞑り、父はそんな娘に対して共犯者的なウインクを送る。地堕落だが気儘な二人の日々。そんな生活を享楽し、満足していると思っていたのに、父はある時一人の女に惚れ、自分たちの生活に規律や秩序を導入することを躊躇わなくなる。ひとりの女の登場が、それまでの全てを覆してしまうのだ。その女性アンヌを演じるのは赤毛の“聖教徒”デボラ・カー。優雅な物腰でいかにも50年代の大人の女性という雰囲気がたっぷりと漂うデボラ・カーは、デヴィッド・ニーヴンと傍目にもお似合いのコンビネーション。このお高い聖教徒の出現で父は若い愛人エルザ(ドモンジョ)を海岸にほったらかして皮が剥けるほど肌を焼かせた果てに、海老のように捨てる事になる。この父・レイモンのような女蕩らしは、一人の女に首根っこを掴まれつつも、狩人のようにあちこちに手出しをしていたいのである。落ち着きたいという願望はあるものの、強固な本能がそれをどうしても裏切ってしまうのである。これは習性で変えることはできない。そんな親父をひとときガッチリと掴んだアンヌはそれに止まらず、その娘をも取り締まり始める。父の愛人をこれまでは寛容に受け入れてきた娘だが、それは常に火遊びと分かっていたからである。ところが今度は勝手が違う。親父は聖教徒に本気になり、妻にすると約束し、あまつさえ、彼女がセシールに口出しするのも容認する有様だ。こいつはほっとけない。どうにもほっとけない。第一レイモン、あなたってそんな人だった?


パーティに出る支度をする父と娘だが、夫婦のような空気が漂っている

というわけで、セシールの他愛もない術策に乗せられた父やアンヌが彼女の思惑通りの軌跡を辿り、アンヌは人の生活や人格を変えようとした事の報いをいやという程受けることになってしまうわけである。放蕩者の父は放蕩のツケを、小悪魔の娘は小悪魔な行いのツケをそれぞれに払うことになる。
が、この父がその夏の恋とその帰結にどこまで自責の念を抱いているかは甚だ微妙であり、結局のところ、今日も明日も糸の切れた凧のようにふらふらと興味の赴くままに女から女へと渡り歩いていくだけで、その人生は浮き草のごとく、今日も反省の色なし、な気配濃厚である。
そういう狩人気質の男に惚れてしまう堅物の女を、デボラ・カーはもうタイプキャストなのでうまく演じていた。道路わきに止めたオープンカーの中で父がアンヌにキスをし、彼女は当初抵抗しつつもそのうち自分から腕を絡ませてしまうというのはお約束だが、顔を離すと父は意気揚々と車にエンジンをかける。その様子にアンヌは「あら、だめよ」なんて慌てる。セリフはそれだけしかないのだが、キスでこりゃ貰った!と思った父が一散にベッドへ向けて走りこもうとするのをアンヌがあら、それはまだ早いわ、なんて慌てているわけである。それが最小限度のセリフとニュアンスだけでちゃんと伝わってくるのがデボラ・カーのうまいところ。おまけに一夜明けると、堅物の女はすっかりその気になって幸せ一杯である。遊び人の父はアンヌのようなタイプに最も効果のある「結婚」という矢を射て見事に中心に当てたわけだ。ありふれたお話である。ありふれた結末に酔うアンヌ。デボラ・カー、そういう様子もさりげに上手い。彼女の名声はその赤毛の美貌だけではなく、やはり確かな演技力あっての事だなと再認識した。



まぁ、とにかくこれはもう、1にも2にもジーン・セバーグありきの映画なので、彼女はどのシーンでも輝いている。着ている服さえ、全く古びて感じない。というか、むしろ今の流行と合っているかもしれない。お話自体も、この小説が出た当時は半世紀近くも前のことだし、原作者が18歳のアンファン・テリブルだった事もあってセンセーションを巻き起こしたかもしれないが、今ではごくありふれた話で、センセーションを巻き起こした物ほど古くなる、という法則に当てはまっている。これは、この手のお話のハシリであるといえるだろうか。



キャスティングについて言うと、デボラ・カーはこの上もなく役にピッタリなれども、この父・レイモン役はデヴィッド・ニーヴンが適役だったろうか?他にもっとピッタリな人が居たんじゃなかろうか、とも思えてしまう。すぐに浮かんでこないけれど、なんとなく。ニーヴンは形式的に伊達男気取りの遊び人をお上品に演じているだけで、どうも形骸的に感じてしまう。まぁ、キャラが描きこまれていないので表現のしようもないと言う感じではあるのだけど…。この父が最も強く首ねっこを掴まれているのは娘のセシールなので、どこに本音があるのかしれないニーヴンの演技でOKとも言えるのだけど、この映画を観るたびにジーン・セバーグはいつ観てもキラキラしいわ、というのと並んでデヴィッド・ニーヴンてのはどうにかならなかったの?と思ってしまったりする。

それはそれとして、目もくらむばかりの空と海と陽光まぶしい観光地で起きる愛憎のドラマ、という点で「太陽がいっぱい」なども思いだす。あまりにまぶしい陽光は強烈な光で目を眩ませて禍々しいたくらみを一瞬正当化するのか、どうなのか。強い光あるところに深く暗い影もさすのだ。

それにしても、父に名前で呼びかける娘というのは、やはりアブナイ。

コメント

  • 2009/03/28 (Sat) 17:35

    kikiさん

    ジーンセバーグってアメリカ人だったんですね。ずいぶん長いことフランスの女優だと思ってました。自殺にいたる経緯も知らなかったです。ずっとフランスのブルジョワチックな小生意気な女優の一人だとばかり思い込んでました。
     原作も読んでないし、(イメージ先行でサガンも敬遠していた)センセーショナルな作品ってねたばれになりがちで、見た気になってしまい、なんとなく見逃すようです。
     ジェーンフォンダは人種問題ではなく、反戦運動の闘士だったので、ある程度酌量されて生き延びれたのかしら。複雑な思いになりました。
     この写真のセバーグの美しいこと。ちなみに私もショートカットですが、単に沖縄在なので暑くてしょうがないからだけの話で、張り合う気はまったくございません。m( _ _ )m

  • 2009/03/28 (Sat) 22:17

    ワタシも原作は読んでないんですよ。映画を先に見ちゃったら原作読む気がしないというか。そうでなくても原作は読む気がしませんが(笑)
    サガン原作の映画では「ブラームスはお好き?(映画タイトルは「さよならをもう一度」)」の方が全然出来もいいし、好きですが(これも原作は読んでない)今回はふと思いだしたので、久々に「悲しみよ~」を観てみました。ジーン・セバーグってけっこう好きな女優です。サガンの小説自体にはあまり興味はないものの、サガンの伝記映画はトレーラーを観るかぎり、悪くなさそうな感じではあります。ふうさんはやはり沖縄在住でしたか。沖縄はもう暑いですか?こちらは桜の咲く頃はちっと冷え込むという慣例通りここのところ少しひんやりした日が続いていますよん。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する