「海よりもまだ深く」

− こんな筈じゃあなかったが… −
2016年 ギャガ  是枝裕和監督



樹木希林と阿部寛が親子を演じ、昭和歌謡の一節をタイトルにした、是枝裕和監督による「歩いても 歩いても」(2007年)と同系列の作品だが、こちらの方がずっと好ましく感じられた。ワタシ的には現時点での、是枝監督作品のベスト1かもしれない(あ、やっぱりベスト1は第1作目の「幻の光」かな)。WOWOWにて鑑賞。


阿部寛のタイプキャストのひとつに「ダメ男」というのが加わったのはいつからだか記憶にないが、気がつくと、わりにポピュラーな役柄として定着している感じである。本作では、夢追い人で甲斐性なしのダメ男を、すがれた顔つきとあちこち寝癖で飛び上がった髪で演じている。ダメ男を演じる時、彼の長い顔と大きな体はひときわの脱力感と情けなさを醸し出して効果的である。年齢による顔のくたびれや衰えも、うらぶれ感を出すのに一役買っていた。



15年前に新人賞を獲ったものの、その後泣かず飛ばずで「自称小説家」状態になっている篠田良多(阿部寛)。人間観察のためと称して探偵事務所で他人の素行調査などをやってかつかつ暮らしているが、そちらが本業になる瀬戸際のところに来ている。父親は最近亡くなり、団地に一人で母(樹木希林)が住んでいる。
冒頭、姉(小林聡美)が会葬御礼の宛名書き(多分)を実家の団地に手伝いに来ているシーンから始まる。この母と娘の会話が絶品。どこにでもある親子の会話だが、そうそう、母と娘ってこうなんだよね、という感じが満ち満ちている。演技も脚本も演出も自然で実に上手い。女性だったら皆、自分と母親との会話を思い浮かべて、あるあるの大合唱になると思われる。是枝監督の脚本が自然なので、役者もより自然に演じられるのかどうか分からないが、本作は全体に、脚本に書かれた会話の巧さと、それを表現する役者たちの巧さが特に光っていたと思う。ポイントはドキュメンタリーのような「自然さ」にある。



阿部寛はハマリ役、その母役の樹木希林はもう、樹木希林なので常に上手いし外れない。阿部寛の別れた妻役の真木よう子もさりげなく良かった。(真木よう子といい夏川結衣といい、阿部寛の妻を演じる女性は異様に小顔なので、阿部寛の長い顔がひときわ長く見えるのに寄与している)姉役の小林聡美も、いかにも彼女らしい感じで好演だった。



が、その他の役者もみんな良い。とりわけ探偵事務所の所長を演じたリリー・フランキーと、若手調査員を演じた池松壮亮が印象的だった。リリーは周知の通り多才な人で、イラストレーターでもあり、文章家でもあり、俳優でもあり、バンド活動もしているが、ワタシが一番才能を感じるのが俳優としての仕事ぶりだ。何をやっている時より上手いと思う。今回も当たりは柔らかいが抜け目なく隙もない元刑事の探偵所長を絶妙に演じて、出演シーンは少ないが画面に映ったシーンはもれなく攫っていた。



また、阿部寛演じる良多とコンビで仕事をしている若手調査員の池松壮亮も、うだつの上がらない良多に好意をもって接し、しょうがねぇな、と思いつつも憎めないおっさんを見守り、時には金を貸し、そのしょうもないおっさんのしょうもない行動に付き合ってやったりもする優しさのある後輩を自然に演じていた。この探偵コンビが、浮気調査をした女性と取引をして、依頼者である彼女の夫には虚偽の報告をし、浮気している妻の方から金を貰って逆に夫の素行調査を引き受け、所長に内緒で小遣いを稼ぐシーンも面白かった。



この、夫から浮気調査をしかけられながらも逆に夫の浮気を突き止めて離婚調停を有利に進める妻を演じた女優もなかなか良かった。「(夫の浮気を)知らない方が良かったですか?」と訊く良多たちに「そんな事ないよ。全部ひっくるめて私の人生やから」と言って颯爽と喫茶店を出ていくシーンは、ちょっとカッコ良かった。今の世の中、男よりも女の方が思い切りがいいし颯爽としている、ということを端的に表現していた。

が、良多はそうして稼いだ小遣いを、すぐに競輪でスってしまうダメ男である。小説家崩れで探偵事務所で仕事をしているだけならまだしも、このギャンブル好きというのが彼の致命的な部分なのではないかと思うが、こんな良多ゆえ、別れた妻と約束した一人息子の養育費も、毎月滞りがちでまともに払えないのである。
別れた妻には新しい男ができて、結婚もあるかもしれないという状況。1500万の年収があり、自信満々で、良多とは正反対の男である。「どんな奴?」と良多に聞かれた一人息子の真悟はぽつりと「声が大きい」と答える。「そりゃ恥ずかしいなぁ」と良多。うん、と息子。この「声が大きい」という息子のセリフは本当に自然で、いかにも子供が言いそうではあるが、脚本に書こうとしてすぐに出てくるセリフではない気がする。この辺が是枝脚本の上手いところだと思う。これを受けた良多の「そりゃ恥ずかしいなぁ」も良い。
この頼りない父親と、じきに再婚するかもしれない母親の間で、幼いながら何やら諦念のようなものを漂わせる一人息子の真悟を演じた子役(吉澤太陽)も、いろいろな事を大人以上に我慢しながら生きている子供の雰囲気がよく出ていた。父親がこんなだと、息子はいやでも大人にならざるをえない。



また、近所の質屋のおやじを演じていたミッキー・カーチスや、編集者役の古館寛治も上手いキャスティングで、映画の中でおでんの辛子のように、その存在が効いていた。

別れた妻は自分とは正反対の男を選び、安定第一主義で第二の人生を始めようとしている。何もかも自分が不甲斐ないせいだが、別れた女房への未練も渦巻いてとめられない。一人息子への愛もとめどなく湧き上がってくる。だが、一緒にいる時にはそんな風に愛情を示すことができなかった。一緒にいるときに、なぜもっと大事にできなかったのか…。
良多の母(樹木希林)は「男はどうして今を愛せないのかしらねぇ。いつまでもなくしたものを追いかけたり、叶わない夢みたり…」と言う。良多の父親もひと旗あげようと試みては借金だけが残るような人生を送り、結局家も買えず、団地暮らしのままだった。父親のようにはなるまいと思っていたのに、いつの間にか父親そっくりになっている自分。夢追い人の遺伝子の強力さにうなだれる良多。



「しあわせっていうのはね、何かを諦めないと手に入らないものなのよ」と母。
母から養育費を拝借しようと息子を連れて寄った団地に、嵐のために足止めになり、深夜、母と息子は台所で語るともなしに会話を交わす。背後に流れるのは、母がつけたラジオから流れるテレサ・テンの「別れの予感」。
この歌詞の一節が、映画のタイトルになっている。

「あたしは、海より深く人を好きになったことなんてこの年までないけどさ」という母に、自分はそれなりにある、という良多だが、母は一言のもとに「ないわよ、普通の人は」と否定する。「それでも生きてんのよ、毎日楽しく。いや、ないから生きていけんのよ、こんな毎日をそれでも楽しくね」と母は続ける。だが、海より深いかどうかはともかくも、この母はかなりの苦労をかけられたらしい故人の夫を、けっこう愛していたのだろうな、と推察される。すべて捨てたといいながらまだ夫のシャツを残してあり、さして寝つきもせずにぽっくりと突如逝った夫は彼女の夢に時折現れるらしい。さんざん苦労をかけられただけの、夢に描いた結婚生活とは程遠い生活でも、そこに消し難く愛情は横たわっているのである。
それに、この母の、親孝行とはいえない娘と息子にそそぐ素朴な慈愛は、それこそ海よりも深いのではあるまいか…。

一人息子を迎えに夫の母の団地に来た元妻(真木よう子)も、嵐で足止めされて一晩を団地で過ごすのだが、元家族が嵐のために団地に一晩集うシチュエーションを作ることで、それぞれが新しい一歩を踏み出す踏ん切りをつける夜になる、という流れが、あざとくなく自然にできていた。こういうのが、特に事件らしい事件もおきない日常を描いたドラマのクライマックスの作り方なのだろう。このあたりも上手いと思う。



結局のところ、良多の結婚はもう元には戻れないし、互いにそれぞれの道を進んで行くしかないのだが、家族だった過去は消えたわけではなく、その後の人生はその上に積み重なっていくのである。そして、別れても、家族として一緒に暮らさなくても、互いに愛情が残っている限り、人はつながっていくものなのだ。
そういうメッセージが、さりげなく、しみじみと伝わって来る映画だった。全体に自然で押し付けがましくなく、ところどころ笑いも交えながら、家族とは?人の幸せとは?というテーマを語る、その語り口も練れて、達人の領域に入ってきた観がある。鳴り物入りだった「そして父になる」よりも、映画の出来として数段、上に感じた。

時折、調査対象を強請って裏で小銭を稼いでいた良多が、調査対象の高校生に調査結果と引き換えに金を持ってこさせた時、「あんたみたいな大人にはなりたくない」と言われて「そう簡単になりたい大人になれると思ったら大間違いだぞ、この脛齧りめが」というセリフが、この映画の肝だろうか。

なりたい大人になるのは、本当に容易ではない。得てして、大なり小なり「こんな筈じゃなかった」のオンパレードの上に人生は流れていくのであるが、夢に描いた通りの人生ではなかったとしても、ささやかに幸せを感じる日もあるし、それなりの満足感を味わう日もある。華々しくなくても、夢見た通りでなくても、大事にできる人や、大事にできる何かがあること、それが結局のところ、幸せってものなのかもしれないねぇ、などと思った映画だった。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する