「ダウト あるカトリック学校で」 (DOUBT)

~校長様の嘘~
2008年 米 ジョン・パトリック・シャンリー監督



トレーラーを最初に観た頃には、面白そうだわ、封切られたら即行こう、なんて思っていたのに、いざ封切られたらなんだか食指が動かなくなり、ずっとホッタラカシにしてしまった本作。 ふいにその気になって日比谷シャンテでようよう観て参りました。
いやー面白かったですねぇ、これは。トレーラーを観て期待していた通りの作品だったので、かなりの満足感を持って劇場を後にした。
ギリシャの島で似合わないはっちゃけ母さんを無理矢理演じていた「マンマ・ミーア」と比べるまでもなく、メリルさんはこっちの方がハマリ役。必殺の魔女顔を武器に思う存分やっていた。受けて立つのはフィリップ・シーモア・ホフマン。間に入って目をぱちくりさせているのはエイミー・アダムス。ディズニー作品の常連と化した彼女だが、こういうシスター役は持って来い。丸い目のピュア顔が役にピッタリだった。

さてさて、どんなものかしら、と観始めた本作。まず撮影の光のトーンが作品世界にピッタリだったし、準備が整い、壇上でお説教を始めたF・シーモア・ホフマンの声と雰囲気で「あ、この映画は当りだな」と感じた。

お話は、「60年代のカトリック学校を舞台に、少年に対する性的虐待の疑いを掛けられた進歩的な男性聖職者と、心証のみで彼を執拗なまでに追いつめていく厳格な女性校長の息詰まる言葉の攻防がスリリングに展開していく」(all cinema onlineより)というもので、こうと自分が思いこんだら狂信的なまでにそれを追求していく刑務官のような尼さん校長のメリル・ストリープ。楽しそうだった。やってて凄く楽しかったんだと思う。厳格な顔の、規則をゆるがせにしない校長を厳格にやっているのだけど、どこかしらに嬉々としたものが覗えるご様子。それにしてもこの尼さん校長。自分の判断には根拠もなしに強烈な確信を抱くさまが尋常ではない。ラスト近くの対決シーンでは、そのあまりの頑迷固陋ぶりに思わず客席から笑いが漏れるほど。牛みたいに頑固。何がどうでも絶対に曲げないのである。疑いというよりも思い込みが激烈なのだが、度が過ぎてこれはもう精神障害じゃないの?と思うぐらいだった。
常日頃から物の考え方が合わない相手に対して、こいつには何か問題があるに違いないという思いが日々積み重なっていたある日、絶好のキッカケを捉えてその思いこみがスパークするのだが、ここまで「いや、待てよ、そうは言っても…」という留保など一切なしに一直線に「怪しい!!」と突っ切る性格になるには、何かそうなる原因があったんだろうねぇ、とそっちの方が気になった。
何がそこまでさせるのか…。先生、異常ですよ。
ラストのガチンコ対決でシーモア・ホフマン演じる神父が校長の過去の尻尾を捕らえかけるのだが、おばはんもツワモノ。はっと我に返り、すぐに体勢を立て直すのである。その疑念(というか自らの思いこみ)への確信や、自分の立場、目的を、一瞬たりとも揺るがせにしない様子にはアッパレ感さえ漂う始末で、ついつい観客も笑ってしまうわけである。



対するシーモア・ホフマンは「楽しくやろうぜ」主義で、「開かれた教会」を目指すニュー・ウェーブの神父。はみだし者に情けをかけ、流行りの音楽を愛好し、周囲のあれこれに細かく気を配る人情神父だ。彼にとっても常日頃から教条主義的な女校長シスター・アロイシアスは相容れない存在。互いに水と油のような二人なのだ。というわけで、いつもアクの強い役、胡散臭い役の多いシーモア・ホフマンだが、今回はこういう神父や学校の先生って居そうな気がするなぁ、という妙なリアル感を感じた。自分の中の善なるものを信じ、使命感を持って物事に対処する情け深さはいいのだが、人間としての欲望に打ち克てない面もある。根はいい奴で情けも深いが、人として誘惑に克てない弱さをふんだんにもっているのだ。
これは彼のみならず、司祭や教区長などの男性聖職者が夕食時に酒をかっ喰らい、下世話な噂話でげらげらと盛り上がって赤ワインを飲みつつ、血の滴るようなレアなステーキをむしゃむしゃ食べているのに、校長と頂点とする尼さん教師たちは、つつましいおかずにミルクという質素な夕食を押し黙って食べるというコントラストの強い対比にも現れている。神父以上の男性聖職者にシスターは口出し出来ず、差し出口をする事などもっての他だが、男どものラフな様子が日頃から大層シスター・アロイシアスのお気に障っていた事は確かだろう。克己心のないものが、神に仕え、人を導く事などできようか、ってなわけで。



教会の運営するこの私立のカトリック学校にただ一人黒人の生徒がいる。この子は当然浮いていて、友達もいない。1964年という時代を考えると、彼の抱える問題は今よりもずっとシリアスだったに違いない。人種的な問題で孤立しがちな上に、彼には人に容易に理解されない性癖もあったりして、二重三重にマイノリティな存在である。このよるべない少年をフリン神父(F・シーモア・ホフマン)がいつも気にかけ、庇うわけだが、神父がある日授業中にこの子を司祭館に呼び出したから、さぁ大変。

神父は少年に何かしでかしてしまったのか、どうなのか。というわけで、実際のところは何があったかは観客の想像にお任せします、の世界なのだが、少年には同性愛傾向があり、唯一の自分の庇護者に対して親愛な感情を抱いていたと思われる。フリン神父がその気もない子を無理に司祭室に連れこんでオイタしてしまったわけではなく、少年にすがられた神父が自らの性癖もだしがたく、慰めているうちにあららららな事になってしまったんじゃないかしらん、というのがアテクシの推察。
何もなかったと言い張る神父だが、揺ぎ無い確信のもと目的のためには手段を選ばない校長の引っ掛け(またはハッタリ)によって彼は告戒めいた事を口走る。相容れない存在を否定するあまりの神父へのいわれのない難癖かと思いきや、「前任地の教会に問い合わせた」という校長の言葉に俄かに狼狽する神父の姿で、矢が的の中心を射抜いた事が分かる。狂信的な彼女の直感もバカにならないわけだが、「それを生徒のほうも望んだとしたらどうなんです?」と言う黒人少年の母の発言が印象深い。
校長が神父を讒訴するために呼び出した黒人少年の母だが、彼女は何であろうと息子を庇ってくれる人の味方をする、と言う。根拠もなくいい募る校長に、生活の疲れを浮かべた黒人の母は非常に実際的な見地から冷静に言葉を返す。父親からも理解されない子を守りたいという母の気持ちがよく現れていたシーンだった。



ラスト、なにやら尊いイメージの紫の衣を着て、にこやかに別れの挨拶をするフリン神父。勝ったと思った者が負け、負けたと思ったものがちゃっかりと実を手にしている。妙に晴れ晴れとしたフリン神父の行い澄ました顔にどこやら漂う胡散臭いにおい。
信仰も情けも真実だが、欲望もまた事実なのだ。
これはやっぱりF・シーモア・ホフマンならではの役だろう。

疑いのタネを撒いておいて、「私はこの先、二度と寝られなくなりました」と言うシスター・ジェイムズ役のエイミー・アダムス。キュートさが売りだったはずの「魔法にかけられて」の時より、本作の方がずっと可愛く見えたし、役にその顔が生きていたと思う。実はこの役が一番難しかったりするんでは?などと思いつつ観ていたのだが、この人も、こういうシスターいそうだわ、という妙なリアル感があって非常にマッチしたキャスティングだった。



演出も、撮影も、脚本(原作者が脚本および監督も手がけている)も、キャスティングも、その演技も、申し分なかった。(原作戯曲と監督、脚本のジョン・パトリック・シャンリー氏が、またすらっと長身に銀髪のインテリ系ハンサムマンでかなり好み)期待した通りのものを見せてもらった。
人は複雑な多面体。見えている面だけが全てではない、という事がサブテーマじゃないかと思うけれど、「疑い」についてというよりも、「人」という生き物の複雑さ、不可解さについてのお話だなという気がした。

ただ、フリン神父の方はなんとなくどういう人間か分かるような気もするが、シスター・アロイシアスについては、何故あそこまでカチカチの教条主義になり、一度こうと思いこんだらとことん迷いもなく突き進み、イチかバチかの嘘をついても狙った相手を糾弾せざるを得ない性格になったのかは、語られないだけに興味のあるところ。彼女が夫の話をするシーンで「結婚なさってたんですか!?」と黒人少年の母が驚くのだが、観客も同様に驚く。何があってシスターになったのか。その激しい思い込みも含め、夫に絡んだ何かが原因かしらんなどと思うが、これこそご想像にお任せな世界である。けれど、そのまま放置されると気になるなぁ、というわけで、うっすらとシスター・アロイシアスの告白を聞いてみたい気持ちがよぎったkikiでございました。

コメント

  • 2009/04/09 (Thu) 22:17

    さすがにスルリと書かれていらっしゃる!
    ワタシは難産だったわー。笑
    メリル校長はボールペンを使う神父が嫌いだったのかしら?アハハ。いやはや、結構好き嫌い画激しそうで、ホフマン追いやった後の次なるターゲットは誰かしら?いつも追い込む対象を作るタイプに見えるの。黒人母が「アイルランド系やイタリア系」についてチラッと言ってる件が、ほほほ~と納得した60年代のNY事情。メリルvsホフマンのシーン、何回takeだったのだろう?ね。笑

    • 吾唯足知 #uqr/pqJA
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  • 2009/04/10 (Fri) 00:07

    あ~、確かにメリル校長、早々に次なるターゲットを見つけそうなタイプざんすわね。気に入らないところがみつからなければ標的にしないだろうけど、どこかで「む!?」と彼女が思ったらもう終わり。相手が立ち去るまで追撃は続くのであった…というわけで不寛容って怖いわねぇ。気をつけなくっちゃ。でも、その彼女も他人に厳しいばかりでもないところがさらりと描かれていて、人間の多面性が出ていると思いますわ。ラストのガチンコ対決は1テイクでOKだったりしてね。物凄い集中力で一発OK。あの二人ならありそうな感じ。

  • 2009/04/10 (Fri) 01:14

    kikiさんこんばんは~。
    私はこの作品を見ながら、神父とシスターの身分の違いの大きさにちょっと驚きましたね。確かに教会で女性が高い地位にいるところなんて、見たことないですよね。だから、校長室に入ってきた神父が当たり前のように校長の席に座った時、校長がムッとしても何も言えないシーンが印象的でしたね。

    それにしても、ラストの校長の告白。「ハッタリだったのか!」とある意味その度胸の良さに驚きました。

  • 2009/04/10 (Fri) 08:50

    mayumiさん、ほんとほんと。男性と女性の聖職者にあんなに格差があるなんてね~。そういえば女性の司祭っていませんね。信仰の世界では男尊女卑が強固だったり致すのねん。そんな格差があると知ると、クライマックスで、神父に対して居丈高になったり指図したり、やりこめたりするあのシスター・アロイシアスの様子は、常軌を逸しているという事が分かりますわね。そして、あんな些細な事から激しく思い込んであそこまで糾弾するに至るんだからつくづく凄いご性格。でもそれが的外れじゃなかったってところが、またね。色々な面で面白かったですわ。

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