「しゃべれども しゃべれども」

~川風と下町の緑~
2007年 アスミック・エース 平山秀幸監督



昨今、妙に落語がブームらしい。いまに始まった事ではなく、数年前から落語は再び流行り出しているらしいのだけど、残念ながら一度もライヴで落語を聞いた事はない。ましてや寄席ともなれば異次元空間。もはや東京にも四軒しか寄席は残っていないというので、絶滅するまえに一度行っておかなくてはと思っているのだけど、なかなか…。新作落語などで光っている落語家が何人もいる時代に巡り合わせているわけだから、一度ライブを聞きにいかないと損かしらん、とは思っているのだけど、映画だけで精一杯な有様で落語までは手が伸びず。おまけに当世人気落語家のライブはチケットが入手困難という噂だし…(と言い訳)というわけで、これは国分太一が修行中の落語家を演じた作品。



ワタシの実家には父の愛蔵の「古今亭志ん生」の落語集がLPレコード、CD等かなりある。父は、志ん生と並び称される名人の桂 文楽はダメで、「落語は志ん生に限る」という志ん生主義だ。殊にレコードでそれを聞くのが好きらしく、志ん生の語りの合間にぷちぷちと入る、レコードならではのスクラッチノイズ込みで愛聴している。
顔も性格も父親似のワタシだが(父がO型なのでワタシもO型に違いないと思っていたらA型でビックリだった)、どうも落語には手が伸びず(ちゃんと聞けば面白いんだろうと思うけれど)、この「しゃべれども しゃべれども」にフィーチュアされている「まんじゅうこわい」や「火焔太鼓」なども、父が聞いているのをまた聞きした覚えはあるが、じっくりと聞いた事はなかった。この志ん生の次男である古今亭志ん朝も父・志ん生に劣らぬ名人だったらしいのだけど、病の為惜しまれつつ若くして世を去った。志ん生自身は大酒を飲みつつも長寿だったが落語家になった二人の息子はともに短命で働き盛りに世を去っている。(ちなみに長男・10代目金原亭馬生の娘が池波志乃で、その夫がネジネジ巻きの中尾彬)

物語は、隅田川界隈の東京下町を舞台に、なかなかうだつが上がらず真打にはまだ遠い若手落語家・古昔亭三つ葉(国分太一)が、ふとした事から自宅に年齢も性別もさまざまながら、「コミュニケーション問題で悩んでいる」という事が共通する3人を迎えて落語による話し方教室を開くハメになるのだが…。

というもので、筋書きや結末はなんとなく分かっているようなものの、登場人物のキャラや東京下町の景色や風物が淡々と切り取られていて、キャストも良ければ脚本も良かったので、見ていて気持ちのいい映画だった。公開時にわりと評判になっていたのだけど劇場までは引っ張られなかったので、このたびDVDにて観賞。主人公の芸名の「今昔亭」というのは「古今亭」のもじりであろう。

主人公三つ葉(国分)のおばあちゃんに八千草 薫。初登場のシーンではおしとやかにお茶を教えているので、いつものおっとり八千草さんだなと思っていたら、生徒が帰り、落語家の孫が家に戻ってくるといきなり伝法な下町言葉でポンポンしゃべる。下町のシャリっとしたお婆さん(見た目はお婆さんという感じではない)を着物姿で演じていて、それはそれで似合っていた。いつもの「山の手の奥さん」ではない八千草 薫を見られるという点でも、なかなかレアな映画だ。可愛い顔で言う事はキツい、というキュートな下町のお婆さん役が新鮮だった。


縁側で梅干をつくっている 梅干婆さんてシャレじゃないだろうけど…(笑)

この祖母と三つ葉の住む下町の一軒家も、実に下町情緒のある緑に被われたいい感じの佇まいだ。
細い路地に面して住宅が密集している下町ならではの路地の景色だが、風鈴やほおずきなどがいかにも軒先に釣ってありそうな、夏のさなかでも生垣の緑が深くて、開け放した茶の間に吹き通る風の涼しそうな、縁側でビールを飲んだらおいしそうな、そんな木造の一軒家だ。墨田区か、台東区かそのあたり。下町にああいう実家があって、夏にすいかなんか下げてぷらっと戻ったりするのもよさげだなぁ、なんて観ていて思った。



根っから芯から落語が好きで、それも古典落語に思いいれが強く、新作には見向きもしない三つ葉だが、高座にあがると緊張するのかしゃべりが硬く、一生懸命やっているけどなんだか受けない。この、下手というんじゃないけどなんだかダメだね、という感じを国分太一がうまく出している。ジャニーズのタレントは、あまたの一過性消耗品のジャリタレの中に、ごく少数、キラキラッと本筋の才能のある人材が混ざっているのが特徴なのだが、俳優として若手最右翼の二宮和也にまけじと(?)国分太一も達者な面を見せている。彼の持つ勘の良さが役にもよく生きていて、役のキャラをその鋭い勘でピっと掴んでいるな、という雰囲気が漂っていた。



三つ葉の弟子になる大阪から転校してきた小学生・優を演じている森永悠希くんが上手い上に可愛くて文句なしだった。関西弁をからかわれて学校でコミュニケーションがうまくいかなくて悩んでいるボク、という役なのだが、この子の関西弁はガサガサしていず、独特の愛嬌があって聞いていて思わず笑ってしまうユーモアがあり、そのまま落語でいけるでしょう、という間合いの良さなど、しゃべりのセンスというのはその人の中に独自に備わっていて、習って身に付くもんじゃないのね、と改めて思ったりする。



また、引退した野球選手だが、解説者としては致命的な口ベタをどうにかしたいと思っている湯河原に松重 豊。言う間でもないハマリ役。そして、美人だが無愛想で人に誤解されがちなクリーニング屋の娘・五月に香里奈。素のままでスポンと出ているような感じもするが、役の勘所を掴んでいた。まぁ、こういうタイプの女子は確かに居る。美人に生まれれば何も苦労はないかというと、勿論そんな事はないのだ。そんなギクシャクした不器用な人と人とがぶつかって摩擦をおこしたり融和したりする、その心理の微妙なところの描き方もさらさらとしてよく神経の行き届いた脚本と演出だったと思う。



まぁ、こういうデコボコした生徒に関わり合って行くうちに、三つ葉は自らの欠点も見直す事になるというわけで「人のフリみてわがフリ直せ」というお話なわけですが、「なんだかダメ」だった三つ葉が酔いで緊張がとけると、別人のように活き活きと自らの言葉で落語を語るクライマックスはなかなかの落語家っぷりで「長く生き残っているジャニーズタレントは芸達者である」というところを実証する。淘汰を潜り抜けたタレントの才が光っていた。

その今昔亭三つ葉の師匠を演じるのは伊東四郎。文句なし。最近では落語家の師匠役というと、この人とか西田敏行などが筆頭候補だ。でも西田敏行よりも伊東四郎の方が、より落語家の師匠にはハマっている気がする。なにせふだんのしゃべりからして「ひ」と「し」が逆になってしまう、浅草生まれの金筋の下町っ子である上に、若い頃から役者志望で、コメディアンのコントが好きで、浅草や新宿のフランス座に、ストリップよりも合間のコントを観に通っていたらしい。この伊東四郎演じる今昔亭小三文師匠が高座で落語を披露するシーンも勿論あって、「火焔太鼓」のおいしいところをひとくさり聞かせてくれる。その伊東四郎の落語の語りの中に、志ん生の間合いとそっくりな箇所があり、あ、ベンジャミン伊東もこの役作りのために聞いたのは、やっぱり志ん生なんだな、と思った。ワタシもちゃんとは聞いていなかったくせに、父が聞いていた志ん生の落語がどこかで耳に残っていたらしい。


なにやら顔つきまで志ん生風味になっている伊東四郎

東京の下町は隅田川とは切り離せない。映画の中でも幾度となく三つ葉が水上バスで隅田川を上り、下るシーンが出てくるが、隅田川流域はいまや再開発が進んで(豊洲をメインとする江東区エリアなど)タワーマンションが目白押し。それも新しい東京下町の景色になっている。が、川べりを離れると、台東区や墨田区、荒川区は昔ながらの下町風情の残る路地や街並みがまだ残っているし、佃島などはタワーマンションの子供が、佃島の昔ながらの下町の路地を駆け回って遊ぶという状況が出現しているらしい。昔からの下町の住人と、再開発によるネオ下町人種が混在し、祭りやイベントなどを通じて共存しあっているのも下町エリアならではのありようかもしれない。年寄りの多い町に、子供が増えるというのはお互いにとっていい事だろうと思う。


隅田川を下りつつ落語の稽古

また、下町的な遺物として都電・荒川線もしっかり何度か登場する。香里奈演じる五月のクリーニング店は荒川線の線路脇にある。おそらくは荒川区町屋界隈と思われるが、クリーニング屋さんというのもなんとなく下町の景色になじむ生業だ。



ワタシも東京に生まれ育ったくせに、東側にある下町エリアはあまりよく知らないで過ごしてきてしまった。散歩の足を東サイドに向けて、もっと再々下町探訪をしてみなくっちゃ勿体ないかもしれない。


軒下のつりしのぶやほおずきの似合う、路地に面して家の玄関や窓辺に鉢植えがびっしりと並ぶ下町の光景は、独特の町中のささやかな緑だ。公園の緑とも街路樹の緑とも違うが、ささやかに気持ちのなごむ暮らしの中の緑である。そして数々の橋が彩る川の眺め。川を渡ってくる涼しい風。小さな船に乗って、夕方、川風に吹かれて隅田川を行くのはさぞ気持ちがいいだろうなと思った。そんな下町の光景や、川の景色も目に気持ちよい映画だった。

コメント

  • 2009/04/18 (Sat) 23:33
    原作から先に読みました

    この作品、観ようと思いつつまだ観れていないのですが、原作のほうは読みました。原作の三つ葉はもっと男くさいイメージなんですけど、国分くんのあのひょうひょうとしたキャラクターで三つ葉を演じるのも悪くないんではないかなー、と想像してます(話はそれますが、「俳優として若手最右翼の二宮和也」というくだりに激しく納得しました。)。

    で、確か、原作では三つ葉がおばあちゃんと暮らす家は吉祥寺にあることになってたと思うんですが、この映画では下町にあるという設定なんですね。八千草薫が下町のチャキチャキおばあちゃんという設定と家の雰囲気がマッチしていていいかもですね。

  • 2009/04/19 (Sun) 08:13

    国分太一はひょうひょうとしている、というよりも、けっこう怒りっぽい、男らしいといえば男らしい(というか気難し屋?)のキャラを自然に演じてましたよ。ニコニコした僕、という感じがメインではなかったです。で、三つ葉の家ですが、映画では特にどこという説明はないのだけど、三つ葉が、これは間違いなく下町にあるのだろう師匠の家へ自宅から歩いて通っているような感じだったので、同じ界隈だろうな、と思ったんですね。八千草さんのおばあちゃんのキャラも江戸っ子婆ちゃんという感じだったし、監督は中途半端な場所を入れるよりもいっそ下町で全部まとめよう、という感じだったんじゃないかと思います。下町の風物という事もかなり大きなポイントだった気がするし。
    で、ニノ。ジャニタレの中ではもとより、全ての若手俳優をひっくるめても当代最右翼の才能ある俳優ですわね。松ケンと並んで、出演作が気になる若手俳優です。

  • 2009/04/19 (Sun) 19:12

    kikiさんのお父様、志ん生主義だったんですか。じつに嬉しいです。わたしも父が落語好きで、ラジオ寄席なんかよく聴いていたので自然に落語を好きになっていました。志ん生はとても好きで、子供心に「もと犬」の可愛さとシュールさを愛しておりました。実際に寄席やホール落語に通えるようになるともう夢中。その頃は志ん生は「生きているだけでいい」とファンが言うような状態で、実際の高座には間に合わなかったんですが、文楽も円生も、小さんも正蔵も楽しみました。たしかに近頃、新作をものする若手の台頭がめざましいとのこと、古典落語でも、形にとらわれない新鮮なくすぐりを入れた面白い高座が増えているとのことで、聴きたいなーと思います。「しゃべれども しゃべれども」、明日ツタヤから借りてこよう。

  • 2009/04/19 (Sun) 21:46

    たむさん。うちの父は典型的な東京っ子の落語好きだと思います。そして、「あれこれ聴いてみたけど、落語は志ん生に限る!」と言っております。ワタシはさほど落語には興味がないのですが、彼のバイオグラフィや、逸話などには尽きせぬ興味があります。奇跡の復活をした後だかどうか、高座に上がった志ん生が「え~…」といったきり眠り込んでしまい、それを観客は大喜びで見守った、という話が好きですね。「高座で眠る志ん生なんて、滅多に観られないものを観られた」と観客は大喜びで満足して帰ったとか。最も高度な状態で客と落語家のコミュニケーションが成立した場合にだけ可能な事かと。志ん生でなくては出来ない芸当ですね。ともあれ、落語をお好きなたむさんならこの映画はそれなりに楽しめると思います。伊東四郎の高座での語り口に、是非志ん生のにおいを嗅ぎ取ってください。(笑)

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