「ある公爵夫人の生涯」 (THE DUCHESS)

~結婚の摩訶不思議~

2008年 英/伊/仏 ソウル・ディブ監督



作品のトーンや出来については、予告編で見た印象を出ない映画(トレーラーで大体予測がついてしまうという感じ)じゃなかろうかという懸念を持ちつつも、名家の体面だけを重んじる夫を演じるレイフ・ファインズを観てニヤニヤしたいが為に、劇場へと足を運んだ。30分前に着けば余裕でしょうなんてタカを括っていたら、割引デーだけに女性が押しかけて、さぁ大変。はや残り10席を切っていた。いつも後方からゆったりと観るのが習いのアテクシだが、今回は選択の余地なし。前から2列目での観賞なんていつ以来だろうか。ともあれ、映画は予想していたよりも面白かったので前方の席に甘んじつつも観た甲斐があった。

やたらダイアナ元妃のご先祖という事で前評判を煽っているのがちょっと引っ掛かる本作なれども、映画が始まってすぐに、時代を経たお屋敷をロケに使った重厚な映像で18世紀イギリスの世界にさっと誘われる。ヒロイン・ジョージアナの母にシャーロット・ランプリング。この人にしては凡庸な俗物の伯爵夫人役ではあるが、きちんとこなしていた。何よりこの手の映画にシャーロットが出ているだけでこちらは嬉しくなってしまうので、捻った役でなくてもうふふ、うふふふと頬が緩んでしまうのである。

そして、キーラ・ナイトレイ。痩せて細長く、普通もっとボリューミィな感じのする18世紀の衣装が、この人が着ていると嵩がなく、薄手にも見える。折々案山子にドレスを着せたようでもあるが、選挙応援の街頭演説シーンの衣装やヘアスタイルなどは少し中性的なトーンがあって、よく似合っていた。キーラ・ナイトレイは正面から見た顔が最も美しく、斜め顔はまずまず、横顔はというと、張り出した額と強固な受け口の下あごが鼻よりもずっと目立つという花王石鹸状態。いわゆる「しゃくれ」ちゃんである。正面顔と横顔の印象がちと乖離しているのが特徴。で、今回は17歳で何も考えずに御輿入れしてしまったジョージアナがデヴォンシャー公爵夫人として苦難の日々を送るストレスフルな内面をしゃくれた横顔で表現しようとしたものか、とにもかくにも横顔のショットが多いので、「…チャレンジャーだなぁ」と思った。


やや、しゃくれちゃん(この写真ではマイルドに見えるが…)

 このシーンの衣装が良かった

演技的には申し分なし。主役として華もあり、夫の冷淡さにとまどい、予期せぬ事が次々に起こる中、それを健気に受け入れてどうにか日々をこなしていたのに、ある日、夫の「それをやっちゃオシマイよ」的な裏切りに、ついにぶち切れて…というところを「そりゃそうよ、あなたでなくても怒っちゃうわよ、もっと暴れちゃいなさい」と観客のシンパシーを得られるようにきっちりと演じていた。政治にも関心があり、政治家と機知に富んだ会話が出来るという面もちゃんと出ていた。

到底シンパシーを得られそうもない役で頑張っていたのは夫・デヴォンシャー公爵を演じるレイフ・ファインズ。この人は妄執にも似た一筋の純愛を貫く男、というのをよく演じる。が、ワタシは常々、彼については、どうもあの奥目がクセモノだわ、と思ってきた。そんな大悲恋の男(相手が死んでも思い続け、はたまた自分が死んでも想いは永遠)とかいうんじゃなくて、どこにも愛はなく、取り澄ましつつもケモノのごとくに手当り次第に女を弄び散らかし…という方が素に近いんでは?などと思ったりしていたので、この作品のトレーラーを観たとき、「そら来た!」と膝を叩いた。キレイゴトでも純愛でもないレイフ・ファインズを是非観に行かなくては、というわけで観賞してみたレイフだが、まさにイメージ通り。こういう大貴族はいそうだし、自分の前には国王以外のいかなる者も意志など持っているはずがない、という思いあがった冷淡な男を地のように演じていた。

 奥目がクセモノ

ただ、さすがにレイフ、と思ったのは、この、どこにも同情できない利己主義で冷淡な男のなかに、代々続く古い血の連鎖の中に澱んで、生まれながらに疲弊しているような、名家の血の重みや、それを存続していくことに骨がらみ縛られて、家と立場に雁字搦めの自分に窒息しそうになっている気配や、そんな現実から逃れるように女に手を出しているのかしらん?と思わせるような雰囲気をところどころに出していたというところだ。あまりに不可解な性格なので、演じるのもかなり困難だったろうと思われるのだけど、屈折して澱んだ彼がラスト間近、庭で遊びまわる子供達を眺めつつ「子供は自由でいいな」と呟く。この一言で、血の重さにともすれば打ちひしがれそうになっている彼の本音が垣間見えるわけである。この身勝手な公爵を演じたあとには、十八番の純愛男を演じた「愛を読むひと」が待っている。さすが役者。ちゃんとバランスを考えて役を選んでいる。



観終って感じたのは、「結婚の摩訶不思議」という事。
どんなにラブラブで、何人子供を作っていようと、ある日突然に性格の不一致とかで別れてしまう夫婦もあるし、最初から不協和音が鳴り響き、トラブル三昧、喧嘩三昧で続くわけないという様相ながら添い遂げてしまう夫婦もいる。

求められているのは世継ぎの男子を生むことだけ、という結婚に若くして飛び込んでしまったジョージアナ。さんざんの悲喜こもごもの末に、結婚は間違いだったと別れを迫るが夫は首を縦に振らない。夫がうんと言わないのは世間体を慮るという事もあるだろうが、社交界の華である名流夫人としての妻を失いたくないという事もあるだろう。けれど、それだけでもない節もある。ラスト近く、紆余曲折の果てに公爵邸に戻ってきた妻を迎える公爵の態度には、初めて妻を労わる夫らしい空気がまつわる。飛びすさってその手を払いのけてもいいところだが、妻は自分の手を握った夫の手に片手を少しの間重ねる。愛憎の果てにやっと二人が夫婦になった瞬間なのか、どうなのか…。
このシーンは試練が情を通わせることもあるのかねぇ、と思わせて、なかなか含蓄のあるシーンだった。

それにしても、ジョージアナの愛人チャールズ・グレイを演じるドミニク・クーパーがあまり魅力のない若造なので(顔がラテン系っぽく、イギリス男という雰囲気じゃなかったし)、まぁ、あれだったら過酷な状況を逃れるための一時しのぎの男にしかならないかも、と思ったりして…。

…どうもイマイチ


それはそれとして、女性というのはほんとうについ最近(20世紀初頭あたり)まで、長いこと立場が弱かったのねぇ、と今更に嘆息。デヴォンシャー公爵夫人であるジョージアナにしても、その夫の愛人にされてしまうエリザベスにしても、何の権利も発言権もなく子供製造機のように扱われ(またジョージアナ、細い体で産むわ産むわ、超ご懐妊体質である)、人格を踏み潰されている。だが、そんな立場に泣き寝入りせず、共謀して一矢報いたり、子供を取り戻すためには覚悟して愛人に甘んじたりという強かさなども過不足なく描かれていた。が、エリザベスを観ていて「女、三界に家なし」という古い言葉がちらと脳裏をよぎった。
また日本でも、やんごとない家の生まれながら、九州の炭鉱王に嫁がされた柳原白蓮という女性がいたが、彼女は姦通罪のある時代に夫と家を捨てて愛人の元へ走った女である。白蓮が虚しい結婚生活を棄てて年下の愛人と駆け落ちする事ができたのは、夫との間に子供がなかった事も大きいだろうな、とふと思った。「子は鎹(かすがい)」という古い諺がまた頭に浮かんだ。

***
こういう作品は、衣装や美術、ロケーションなども重要な要素だが、観ていて布の質感が伝わってくるような衣装の数々(女性の衣装よりも、今回はレイフ・ファインズの着ている男性の衣装の生地と色合いの絶妙なマッチングなどに目を奪われた)と、セットではないだろう古い屋敷でのロケによる大理石の床や、樫か何かの重いドアの重厚感、木の床のきしみのリアルさ加減など、本物の古い屋敷の持つ独特の空気も、遺憾なく世界観の構築に重要な役目を果たしていた。

もっと上っ面をなぞっただけの話かと思っていたら、案外奥行きのある映画だった。結局のところ、人は添ってみないと分からない、という事でもありそうだ。
「人には添ってみろ、馬には乗ってみろ」という古い言葉がまた浮かんだ。

コメント

  • 2009/04/18 (Sat) 22:15

    これ、今日観て参りました。
    キーラはもう古典ものでは喜々として演じているざんすね。初めて入城する伯爵邸やバースの屋敷など素晴らしいんですが、広さゆえなのか?やたらと声が響き渡って(笑)いた感じよね。
    レイフが窓越しに見ていたあの姿とか、夫婦の手が重なり合ったシーンなど、最後に奥目はやってくれましたな!所々グッとなったりしましたが、これを観終わってグレードデンを恋しくなりましたわ。思い出しちゃった…ポッ

    • 吾唯足知 #uqr/pqJA
    • URL
    • 編集
  • 2009/04/19 (Sun) 08:12

    お、観て参られたのね?吾さん。
    そして、コスチューム劇でキーラをみると、あなたとしてはやはりデンが懐かしくなってしまうと。無理もない無理もない。ふと思ったけど、あのイケてなかった間男役の代わりに、デンが現れたらそれなりにマジな愛という感じになって、観る側もその悲恋にシンパシーを寄せる事ができたかも。そういう意味でもキャスティングって大事よね。まぁ、これはキーラとレイフはハマっていたので、他は別にいいかも、という気もするけれど(笑)

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する