「異人たちとの夏」

~別れのすき焼き~
1988年 松竹 大林宣彦 監督

原作を読んだのが先か、映画を見たのが先か忘れてしまったけれど、山田太一の原作も昔、確かに読んだ。浅草出身の中年脚本家という大枠の設定だけは山田太一が自分のプロフィールを主人公に重ねている。市川森一の脚本なのでドラマの展開もしっかりしている。日本アカデミー賞の解説では、なんだかヨレた事ばかり言っていて大丈夫か、と毎度思うのだが、脚本家としては才能のある人なのだ。大林宣彦は、尾道三部作で有名だが、今回は小娘は登場しない。

 28年ぶりの再会



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脚本家・原田(風間杜夫)はつい最近離婚して一人になり、マンション住まいをしている。ある日打ち合わせの帰りに故郷浅草に立寄り、ふと寄席に入ると、そこで若くして亡くなった父に面差しのそっくりな男に出会う…。
それまでの沈滞したムードを一挙に払うかのように浅草のシーンになると画面が俄然イキイキとする。浅草のシーンは全て良い。浅草をぶらつき、呼びこみの男に「だんな、どうです? 18歳、プリプリ」と声をかけられ「済んだの、いま」と淡い笑顔を浮かべつつ風間杜夫が断るシーンがいい味である。寄席で、もしや父親なのかと思って目を凝らしていた男(片岡鶴太郎)から「よう、出ようぜ」と声をかけられる原田。チャキチャキとした下町男の寿司職人の父を巻き舌のべらんめえ口調のセリフも滑らかに演じる片岡鶴太郎が達者である。ワタシは鶴太郎は苦手だが、この映画では抜群にいい。彼が足駄を穿いてカラコロと先にたって歩くのについて、原田が歩く路地の風景が昔懐かしい下町の気配を醸している。空き地の一角にぽつんと建っている木造のアパート。もしやもしやと半信半疑でついていった原田は、ここで忘れもしない母に会う。この若く美しくコケットリーに溢れた母を演じるのが秋吉久美子。可愛くて、セクシー。実にいい。
ワタシはこの秋吉久美子という女優も好きだ。小作りな顔でスタイルがよく、抜きん出た美人というのではないが独特の魅力があり、言動がビッチである。つい最近もかなり年下の男性と再婚されたとかで、ご発展ぶりまことにご同慶の至りである。秋吉久美子にはかくあってほしい。

 子猫のような秋吉久美子

この秋吉の母と鶴太郎の父もいいコンビネーションで、下町のイキのいい若夫婦の雰囲気がよく出ていた。鶴太郎はランニングシャツ、秋吉は薄いワンピースで、暑いと、このワンピースもするすると脱いでスリップ1枚になってしまう。夏の話なので、この両親は何かといえば息子の服を脱がせたがる。昔の下町の人々はみんな夏となるととっとと服を脱いで下着姿で涼んでいたのであろうか。若く美しい母と、母の年齢を超えてしまった息子のそこはかとなくエロティックな関係性も秋吉の魅力で好ましい雰囲気に仕上がっている。

 ほのかにアブナい母子

この懐かしき父母との対比で出てくる闇の世界の住人が名取裕子である。この名取裕子のシーンはすべておどろおどろしい。しかし、この名取のパートがあるからこそ、両親との浅草での邂逅のシーンがひとしお美しく、懐かしく目にしみるのである。
息子よりも10歳近く若い両親は脚本家として世に出ている息子を無邪気に喜ぶ。息子より若い父と息子がキャッチボールをするシーンがある。日本版の「フィールド・オブ・ドリームス」という趣でもあろうか。原田が12歳の時に両親は自転車に二人乗りをしていて事故に遭い、二人いっぺんにあの世に行ってしまった。原田はずっと父とキャッチボールをしたいと思いつつ大人になった。この時いかにもこなれた身のこなしでキャッチボールをする鶴太郎のシャキシャキした姿がいなせである。

 

浅草で死に別れた父に会う

遠い昔に死に別れた両親と再会し、親に甘える喜びに浸る原田。しかし悪霊の名取同様、両親も異界の住人であることに変りは無い。この世の人でない者とのかかわりで、原田には段々死相が現われてくる。そして両親もお盆を限りに姿を消さなくてはならない。お別れに親子が浅草・今半にすき焼きを食べに行くシーンがハイライト。両親はすき焼きは食べられない。息子の為にせっせと具を煮る母。「お前をね、自慢に思ってるよ」という母の言葉に「自分はいい親でもいい夫でもなかった。お父さんたちが生きてたら大事にしたかどうかわからないよ…」と原田は万感胸に迫って涙する。「自分をいじめることはねぇ。てめえでてめえを大事にしなくて誰が大事にするもんか」と言う父。そして、すき焼きの湯気の向こうに懐かしい両親の姿は消えていくのである。ワタクシ事だが、数年前に父とかなり喧嘩をした時期があり、(ワタシは基本的に父親っ子で性格も顔も父親似なので、普段仲が良い分ぶつかると似た者同士でなかなか引かない)随分言いたい放題を言っていたものの、心のどこかに父に済まないという気持ちがあったのだろう。その頃深夜映画で流れたこの作品の、今半のすき焼きのシーンを見ていたら自分でも意外なほど涙が滂沱と流れて止まらず、ワタシは心の中で父に謝った。親は生きているうちに大事にしなければならない。そこに元気でいてくれるだけであり難い存在なのだ。父とぶつかったのはその時だけで、現在は仲良し親子である。が、今でもこの映画を見てすき焼きのシーンになると、どうしても涙が出てしまう。涙腺がすき焼きの湯気に条件反射するようになってしまったものらしい。

異界の人々は、ゆがみつつあった原田に何事かを気づかせて去っていく。賛否両論の名取のオカルトシーンは、もうちょっと別の表現方法があったかもしれないと言うにとどめておこう。

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